温故知新――工藤好美先生の教え

風呂本武敏

 

 

  論語の「為政」にあるこの言葉は「旧きを訊ね新しきを知る」と教え

 られた。「温める」とは「大切にする」「保存する」「訊ね求める」、「故」

 とは「元」「昔」「始」「習わし」などを連想させる。この前半の豊かな意

 味合いと後半の明晰さはほとんど対照的といえる。つまり過去の操作の

 多様性に比べて、新しいものの受容の仕方は直線的と言える。過去はそ

 のまま大切に保存したり、多様な解釈を探ったり、未だ為されなかった

 ことを発見したりする。そのような言葉に導かれて、工藤好美先生のお

 仕事をなぞってみたい誘惑に駆られたのが本日の話である。

  先生のお仕事の特徴をいくつか挙げれば次のようなものが考えられる。

 (1)  哲学的志向。認識の客観的な基礎に実証と正しい論理の運用を求

     める心がある。物事を歴史的展望に置いてみようとする、それが

         文学史への関心となってあらわれる。

   (2)  ペイター論に見るように対象の内部に沈潜する、同化の努力。同

         化を尽くしたのちに見る悲哀の感情。その特殊な気持ちを「懐か                            しみの感情」という言葉で繰り返し表現する。

 (3)  弁証法。対立する命題の発見とそれらの統合の原理の発見。前者

         は問いかけの妙に現れ、自己を対象化することから始まる。しか

         しその対立する命題が相互の発展変化の中に捉えることがなけ                              れば、機械論に堕し出発点に逆戻りする。

  先生の『カーライル論』(研究社、1938)で、カーライルの才能と仕事

    に大きな敬意をはらいつつもその限界に厳しかったのは、機械的弁証法

    と史的弁証法を区別しておられたからであろう。例えば『衣装哲学』を

    論じて言う。

 

   彼は象徴の世界に住み、象徴を手掛かりとし、自己の内的生命を外

     的事物のうちに実現することにより、みずから宇宙的象徴化の運動

     に参加する。

 

  これは内外の釣り合いが崩れ内が極端に肥大してゆくことを読み取っ

ている。果せるかなこのような二者択一な「人間と社会を否定的な関係

に於いて捉える」方法に対して、「社会や社会の歴史に対する知識が単な

る精神的モラルでなく、一つの厳密な科学であるのは、社会がそれ自体

の機構を持ち、それ自身の必然に従って発達するからである、精神が単

に持続するだけでなく、自己を本質的に新しくし、生まれ変わることが

できるのは、それがかくみずから発達する社会によって担われるからで

ある」と述べている。

   そこからはカーライルへの工藤先生の批判、すなわち「社会を人間の

  側から理解したが、人間を社会の側から理解することができなかった」

  は一直線である。カーライルの歴史は歴史そのものというより強烈な個

  性である。そのような形象化された個性はやがては歴史の舞台から消え

  てゆく。興味あるのは、工藤先生は消えてゆくときの悲哀を次の言葉で

  表していることである。

 

    すべての形象はそれぞれの役割を果すに従って観念のなかに消えて

      ゆく――常に或る名残惜しさの情と遂に来た沈黙の喜びとを後味と

      して残しつつ。

 

  この名残惜しさ、なつかしみの感情は工藤先生の原点を表わすキーワ

ードである。

     工藤先生はよく処女作を超えることはとても難しいと話しておられた。

   それはもちろんその後の発展を認めないわけではなく、その後の作の主

   要な本質部分が処女作に部分的・萌芽的にもせよすでに顔を出している

   のを言うのであろう。先生の処女作『ウオォルタア・ペイタア』(岩波、

          1927)は、対象となった人物と作品に負けず劣らず、芸術への心酔が先

   生の流麗な文体で語られていた魅力をまず挙げられなければならない

 

      深く芸術の精神にひたった或る種の純粋な芸術家は彼等の芸術のみ

      によって知られることを希ふ。芸術は彼等の存在の唯一の、最高の

      目的である。

 

       芸術は芸術家の「厳密な構造、入念な語彙」によって内部の霊を作品

     に隠しており、それは他者が踏み込むことを許さない部分である。そこ

     に入らぬよう哀願する、「弱点」ともいえる部分である。しかしそのよう

     な領域の自律を主張するには、芸術家の側での倫理的潔癖さと「知的廉

     直」を要求される。「精妙な経験を期待する者はまず己の内部を空しい聖     

     殿にしなければならない」。この原理に従えばコウルリッジは、「純粋な

     思索的能力を直接道徳上の教化に用いている」ことになり、相対的なも

     のに絶対的な方式を早急にあるいは頑固に適用していることになるので

     あろう。工藤先生はペイタアのコウルリッジ論についてこのようにいわ

     れた――コウルリッジ論には形而上学からの影響とそれへの反抗があっ

     て、「ここにあっては酷しい観念を表わす言葉は感覚、特に眼に愬へる言

     葉と並び、冷やかな思想を辿る記述の筆は時に繊鋭な観察を含む描写の

     それによって代わられる。文脈はなお痩せて筋立っている。章句の連絡

     は滑らかさを欠き、文勢における緩急の不整は初めて公にものを言う人

     のせまった息づかいを思はせる」。アーノルドがいった「対象を実際ある

     がままに見る」ためには、「それはその批評家にとって免れがたい唯一の

     印象の最も的確な解剖と表現――少なくともその批評家にとって、その瞬

     間、絶対のものでなければならない」。このように審美批評が無責任な印

     象批評ではなくて、独自の原理を持つ主張であるのは、コウルリッジの

     教訓を踏まえてのことである。この批評家ペイタアにとって重要なこと

     は、「智性のために正確な抽象的な美の定義」を持つことではなくて、「美

     しい対象の現前のために深く動かされる或る種の気質、能力」を具える

     ことだと工藤先生は解説する。

      この処女作『ウオォルタア・ペイタア』には、今見てきたように、そ

     の後の本格的な研究対象のカーライル論、コウルリッジ論がすでに顔を

     覗かせている。

      ペイタア論に次いで書かれた『コウルリヂ研究』(岩波、1931)は、『文

     学のよろこび』(南雲堂、1989)に、「詩と哲学との間」と題して再録さ

     れた。工藤先生によると、コウルリッジは、フランス革命の原動力であ

     る「純粋自由の観念」と「平等の理想」が裏切られたのちも、「人の心の

     内奥にこそ真の王国は見いだされるとの確信は、彼をより親密な魂の探

     究者にした」。この内面への旅は、世界を正確に観察するよりも、心の観

     念と幻を追うことにますますのめり込ませた。「もの思いにふけりながら

     自然の事物...を眺めていると、私はなにか新しいものを見ているというよ

     りは、むしろ私の内部にそのまえから永久に存在しているあるものにた

     いする象徴的な言葉をさがしもとめているような気がしてくる。新しい

     ものを見る場合にも、やはり私は、いつも何となく、その新しい現象は

     私の内なる本性の或る忘れられた、あるいは隠れた心理のおぼろげな目

     覚めであるような気がする」。コウルリッジの『詩人の魂』のこの言葉を

     引用しながら、工藤先生は「なんという複雑な、あやしく縺れた幻想で

     あろう。そしてまた、なんという深い、のぞきこむことさえおそろしい

     ような心の内向性であろう」とコメントする。さらに「この世界――心の

     内なるものと外なるものが溶けてまじりあい、ものの輪郭はおぼろにな

     って言葉では言いあわらしがたい色あるいは陰となり、あるいはそれさ

     え消えてなごり惜しさの情だけが残っている世界、美しいというよりは

     むしろ妖しい夢と、幻と、二重の視覚の世界――この世界こそコウルリッ

     ジの心の故里であった」としておられる。その故里への「不思議な悔恨

     とはるかな郷愁」は、少年のあこがれ、中年の人のうたたねの夢、老い

     らくの人の慰めとなって、現実以上の魔力を持って迫ってくる。工藤先

     生はコウルリッジの心に浮かんだ一つの疑問として「人が自然のなかに

     見いだすすべての情緒は、結局、人の主観の反映にすぎないのではなか

     ろうか」を挙げて、結論として、彼の「後半生は観念から観念への果て

     しない流浪の歴史である」と述べておられる。

      先生のもうひとつのコウルリッジ論は、『英文学研究』(朝日新聞社、

     1948)におさめられた「コウルリッジの文学論」である。ここでは、ロ

     マンチック・インディヴィジュアリズムが、「無意識の自己陶酔」、「新し

     く生まれでた情操は無限の可能性のうちに自己を祝福する」段階から、

     「自意識においては主観がそれ自身の対象になる」段階への移行を、自

     身のうちに体験した詩人が描かれている。この無垢の陶酔を失った悲哀

     が、コウルリッジの自己批評とともに始まっているとされる。しかし感

     情は本来は理知的分析に変わり、主観の代わりに客観が求められ、抒情

     文学の代わり自然主義小説が生まれるものだと、工藤先生は見ておられ

     る―― 

 

     自然主義小説は自己反省によって悲傷せる精神がある平衡状態に達

     した時に生れ、社会的環境によって規定される個性の生活を観照す

     る文学である。個性が環境に反抗し始め、作者の態度が受動的な観

     察者のそれから啓蒙的・理想主義的・社会改良家の態度に変わると

     き、自然主義小説はイプセン等の劇になった。

 

      ところがコウルリッジは、自己反省の段階に達したのち引き返して、

     「ロマンチック・リリシズムの解説者」になった。これが工藤先生の、

     アンヌス・ミラビリスの後のコウルリッジへの批評であり、失ったもの

     への彼の独特な悲哀の響きの原因であろうと考えておられる。コウルリ

     ッジがせっかく歴史の変革期に立ち会いながら、新しい主体、新しい現

     実に対処しうる新しい自我をもって次の段階に入ってゆけなかったこと

     を悲しむ工藤先生の筆は重い。

      工藤先生の哲学的嗜好とその核となる弁証法が簡潔・明快に語られて

     いる文章がある。それは「鑑賞・批評・歴史」(『英文学研究』)である。

     コウルリッジは自己陶酔の抒情から知恵の悲しみをともなう知的反省の

     自意識に移行した。このことは、工藤先生の言う鑑賞から客観的判断に

     よる批評の段階への移行に当たる。共感を主とする鑑賞ではいまだ主観

     と客観は区別されていない。「鑑賞において人は自己を主張するというよ

     りは、むしろ自己を放棄し、無心に、謙虚に、対象のうちに没入する」。

     その没入が徹底されたとき鑑賞は対象の限界に到達する。この限界・制

     限・有限・制約の新しい意識を、工藤先生は美しい言葉で次のように語

     る。

 

     実際、芸術あるいは文学の研究にたずさわるほどの人であって、あ

     る題目、たとえばある作家あるいは作品の鑑賞に長い年月をついや

     したのち、単なるうつり気からではなく、あるなごりおしさの情を

     もって、その研究の対象から離れていった経験のないものはないで

     あろう。鑑賞の完成はよろこびとかなしみとの不思議にまじりあっ

     た瞬間である。人は他のすべての仕事がおはったときとおなじよう

     に、完成のよろこびとともに、別離のかなしみを味わふ。人はその

     対象を理解しないためでもなければ、これを軽蔑するためでもなく、

     かえってこれを理解し、尊重するかゆえに、そのすべての印象を忘

     れえぬ思い出として、心をひかれつつも、ひさしく親しみなれてき

     た研究の主題から別れてゆくのである。

 

      このように鑑賞からおのれの実態を確かなものとする批評への移行は

     連続的である。しかし話はそこで終らない。この新しく到達した批評は

     さらに発展して次の段階に向かう。「批評が計量するところの諸関係はす

     べて歴史の限りない網の目の中にとらえられ、つつまれる」。批評的判断

     はしたがって歴史的判断の一部である。しかしそれがより広い知的展望

     と合体してもそれは未だ主観的・良心的認識にとどまる。「しかるにいま

     や批評の舞台が個人の心から歴史に移るとき、行為としての批評は初め

     て客観的・倫理的な内容をもち、生における知即行は歴史における社会

     的実践の知即行になる」。「未来をつくりだす危機的現在において、現在

     の生活的関心にうごかされつつ、われわれみずから歴史人となり、歴史

     人として歴史的事物にたいするわれわれの態度を決定することである」。

      工藤先生の弁証法的関心がここに一つの極まりに達したことを伺わせ

     る文章である。先にも見たように事物を常に発展の相に見る姿勢は、こ

     うして歴史から出た個性が独自の成長と歴史の危機を経過した後、新た

     な個性として再び歴史に参入し新たな歴史を生むことに係ることを語っ

     ている。このように工藤先生のもう一つの、あるいは同じ、関心は多く

     が文学史にかかわっているのもごく自然なことである。『文学史の諸問題』

     (研究社)、『文学論』(朝日新聞社)、『叙事詩と抒情詩』(南雲堂)など

     はいずれも文学史にかかわっている。しかもその文学史の中でも特に移

     行の危機に瀕した時代に関心が高いこと、その危機を経過した時代に対

     して、まさに上に引用したように、作家・作品に親しんだ後に名残惜し

     みつつ振り返るのとおなじ愛着を抱いている様子が感じられる。あるい

     はこうも言える、すなわちそのような作家に特に、鑑賞の完成を見るま

     での没入・共感を抱くことができたのかもしれないと。それは危機に直

     面する作家に同質性を感じた真情の発露かもしれない。このような出会

     いをすること自体そう沢山あるとは思われない。対象に対する深い洞察、

     綿密な読み、さらには読んだ経験の鋭敏で入念な分析が必要なのは言う

     までもない。

      しかしこのいわく言い難いある「なつかしみ」の情は、文学作品に留

     まらず生身の人間に触れても、否その方により現れる感情かもしれない。

     恩師に対する態度にもそれは表れる。『文学のよろこび』の中の、平田禿

     木と土居光知の思い出を語る文章「追慕と愛惜」にそれが表れている。

 平田禿木はある時期にペイタアに情熱的に傾倒したのだったが、ペイ

タアから「ためらいながら」も世紀末へと移り、「結局、立ち止まって自

然主義あるいは自然主義的リアリズムの方へ近」づいた。感傷を棄て「進

んで市井におりたち、そこに人生の酸いも甘いも味わいつくす苦労人に

なられた」。平田のこの変化は、主観的なペイソスよりも客観的なユーモ

アへと興味が移ったからだと工藤先生はいう。

      同じペイタアを出発点とした土居光知を、工藤先生は次のように見て

     いる。土居もまた、『ルネサンス』の、「人生の刻々にすぎゆく瞬間を、

     その瞬間のために、ゆたかに洗練された感覚や、観念や、想像で充実さ

     せるという人生観」への共感から出発した。しかしやがてその狭さ・孤

     立性に気づき、そこから出ようとして、広い人間性の世界、地上のロー

     マ帝国よりも大きな精神の普遍的共和国の観念にめざめたペイタアの歴

     史への道を、自身でたどるようになった。工藤先生はさらに、土居の本

     質を、ペイタアの『ギリシャ研究』に含まれている「デーメーテールと

     ペルセポネー」のような童話への憧れにあったと見た。すなわち、実証

     的研究を基礎にした秩序と統一への憧れにあったと見た。そして工藤先

     生は、平田と土居がともに、ペイタアに傾倒していた頃をなつかしんで

     いたのに、共感を覚えながらも、「創造はいつも一種の奇跡である」と結

     んでおられる。興味深いことには、同じ書物の巻末に収められた、工藤

     先生による「家のなかの天使」は、「一種のメルヘンになるべき」ものの

     試みだと述べておられる。これは土居先生の童話についての教訓の工藤

     流実践例といえるかもしれない。

 

 (風呂本先生が、2007.9に関西コウルリッジ協会でなさったお話の前半

 です。――ブラウザー編集部)