この人でないと ― 新刊書など

  櫻井正一郎

 

 

  

1.『アントニー・スウェイト対訳詩選集』 山内久明 / 山内玲子

  訳 松柏社 2019

2.『小池銈著作抄』 松柏社 2005

3. Philip Larkin, Letters Home 1936-1977, ed. by James Booth,

  Faber and Faber, 2019

4. T. S. エリオットのラヴ・レター集 The Archive, Firestone

   Library, Princeton University 

 

 

  アントニー・スウェイトの対訳詩選集が出た(1)。

 スウェイトさんは何度も来日されたから旧知の日本人が多い。

この詩選集は「一般の読者にも受け入れられることを期待したい」

と、旧知の一人橋口稔さんが望んでおられる(「みすず」読書アン

ケート特集、2020, 1•2月合併号)。

 『全詩集』Collected Poems, 2007から36篇、『退出』(Going

Out, 2015) から14篇、合計50篇がスウェイト自身によって選ば

れ、訳・注・解説が付けられている。両詩集を出したEnitharmon

Press について、美しい装幀の詩集を出す出版社だと、大阪洋書

の川久保清志さんが分かっておられた。

 オックスフォードを出たスウェイトさんの、最初の就職先が駒

場の東大だった。そこでこの訳注者山内さんはスウェイトの授業

を受けられ、以後交流を長く続けておられる。山内ご夫妻は9

間をケンブリッジに居住された。注と解説の筆者としてこれ以上

の人材はありえない。ここに書ききれないほどのたくさんの事柄

を教えられた。

 訳の方はどうであろうか。淡白で慎み深い原詩が、訳によく移

されている。その訳が、訳者が普段使われているご自身の文体に

ごく近いように思われる――

 

Winter withering

Autumn’s last scattering leaves:

London is falling    (‘Soseki’)

冬枯れに

秋の葉朽ちて

ロンドン落ちる

 

 原詩の各行の音節数は575で、これで英語による俳句になっ

 ている。訳が日本の俳句になっている。漱石はイギリスに圧倒さ

 れた。苦しい心が見たロンドンを、スウェイトが漱石になって見

 ている。「ロンドン落ちる」という訳文を取り上げてみよう。原詩

 で “…ing” が三つ並んでいる。“withering” (「枯らしている」)

 “scattering”(「四散している」) は、いずれも文語で3音節から

 なり、重い。 結びの “falling" は、口語で長母音を含む2音節か

 らなり、軽い。だから、 “London is falling" が作っている、落

 下が、激しくはなくてゆっくりとして穏やかである。そもそも原

 詩がなぜこうなのか、この大切なことは問わないでおこう。「ロン

 ドン橋落っこちる」という、よく知られた俗謡が注に記されてい

 る。軽やかな調子で歌われているその俗謡をここに聞くと、落下

 が余計に穏やかになる。もしここを、例えば「ロンドン崩れ」と

 訳して結ぶと、落下が激しく荒々しくなる。イェィツの落下、ホ

 プキンズの落下になる。この「ロンドン落ちる」という訳は、原

 詩のゆっくりした落下を移している。「ロンドン落ち」ともせずに、

 字余りは多くなっても「落ちる」とキッチリ結んでいる。いかに

 も山内さんの訳らしいではないか。先行訳があるそうだが、それ

 がどうあろうとここで山内さんの訳になっている。原詩の文体が

 訳者の普段の文体に近いとしばしば感じた。原詩は適切な訳者を

 えたものだ。訳者の文体にはこの後ですぐお目にかける。

 スウェイトの詩選集は、英本国では1997年に出たきりでそれ

以降出ていない。新しい詩選集が日本で出たのだ。詩選集という

ものは、一般の読者の役に立ち愛好家の役にも立つ。やはり日本

で、スウェイトの第一詩集(Poems )と最初の詩論集 (Essays on

Contemporary English Poetry: Hopkins to the Present Days )

が、初回の訪日のときに出ていた(ともに研究社、1957)。そのと

きも今度も、教えを受けた人たちが良いお礼をされたのだ。

 『スウェイト対訳詩選集』を読んでいて思い出した別の本があ

った。やはり松柏社から出ていた2だった。思い出したとい

っても、二冊の見かけは、似ているどころか大いに違っている。

較べてみよう。まず、前出の訳注者山内さんの特質が、スウェイ

トの「詩的世界」を次のような文体で語った文章によく表われて

いる――

 

 スウェイトの詩にはすんなりと入っていくことのできる親しみ

やすさを読者は感ずるのではなかろうか。その理由を考えてみる

と、対象が小さな生きものであれ、人であれ、自然であれ、社会

であれ、詩人は抽象化するのではなく、かならず具体的なイメー

ジを用いて書き始め、精緻かつ明晰なスタイルの一篇をつくり上

げるからである。見たところ卑近に思える事柄を通して、深い真

実が啓示される。詩人の立ち位置は控えめで、詩人自身の声で語

られる場合も、「劇的独白」の手法を用いて語られる場合もある。

真実を見据える目の確かさに狂いがない一方で、しかつめらしさ

を避けるユーモアを伴う場合もある。

 

  分かりやすい語りによる、観察の正確さとバランス。長所を読

 者のためご自身のために見定めようとする、いつもの山内さんの

 スタイルが伝わってくる。スタイルとは生き方のことである。「詩

 人の立ち位置は控えめ」とある。この微妙な特質を、冷静にただ

 客観して、礼儀正しく取り上げている。

 次は、2の著者故小池銈の特質である。それが、ハロルド・

ラスキの特質を語った次の文章によく表われている。『信仰・理

性・文明』(1944の中で、著者ラスキは――

 

 主として両大戦間の思想史的展望を試み、この時期の傾向一般

のシンボルとしてT. S. エリオットに激しい批判の矢を向けてい

る。即ちラスキは、古典古代末期の未だ清新なキリスト教の創造

的役割を、ブルジョワ社会頽唐期におけるボルシェヴィズムの裡

(注=うら)に見、そこに当然変容する文明の将来に思いを馳せ、

しかもこの現前する変転の徴候を前にして、詩人本来の使命であ

る大衆への語りかけを放棄し、ひたすら民主的とは低俗野蛮の代

名詞と見なして、少数のエリートの中に身をひそめるエリオット

の態度を一種のナルシシズムと断ずるのである。···ラスキの筆端

にあふれる色濃いペシミズムと、それにも拘らず叙上の観点より

する歴史家的決断と大胆な予言とは、この書を文明論として奥行

きの深いものとし、またわれわれが多く見すごしてしまった西欧

一九四〇年代のアウトルックを伝えるものとして、高い価値を持

つと思われる。

 

  ごつごつしたこの文体は、ラスキの文体をそのまま用いたもの

 である。この困難な文体に、ラスキがエリオットを退ける決意を

 反映させ、ラスキを支持する筆者自身の決意を反映させ、また40

 年代という時代の困難を反映さている。ラスキに「色濃いペシミ

 ズム」があったと見ている。小池銈さんにも達観のようなペシミ

 ズムがあった。

 二つの文章はこんなにも違う。スウェイトとラスキという相手

の違いが根本にある。もう一つは、二人の紹介者の人間の違いが

ある。あのスウェイト論は山内さんのものだ。このラスキ論は小

池銈さんのものだった。筆者が入れ替わることはありえなかった。

それぞれがこの筆者でないと書けない究極の論である。この意味

で二つは似ている。私が1を読んでいて(2)を思い出したのは

どうやらこのためだったらしい。この人でないと書けない、これ

が人文学における記述の究極の姿であろう。 

  論文集ことに遺稿集が近頃出なくなったそうだ。この人の本だ

 からと思わせる著者が少なくなったのであろうか。ちょうどTLS,  

 Jan. 3, 2020に、復刊を望む書物をあげるアンケートが載ってい

 た。私にアンケートが来れば、版元品切れ中の小池銈のこの遺稿

 集をあげたい。スウェイトのこの対訳詩選集もいずれ復刊が求め

 られるようになる。二冊はいつまでも求められる本である。

 スウェイトは8歳年上だったあの詩人、ラーキンと親しかった。

 ラーキンの没後に『書簡選集』(Selected Letters of Philip

 Larkin,1940-1885 ) (1992) が出て、これがラーキンを炎上させた。

 女性差別と民族差別があるとして激しく攻撃され、イギリスの社

 会で事件になった。この『書簡選集』の編者が他ならぬスウェイ

 トだった。騒動のなかで、ラーキンの関係書が続々と出版される

 ようになった。別の書簡集が3冊出た。『全詩集』が2冊出た(1988,

 2012。ラーキン伝が新しいものが出て古いものの改訂版が出た。

 ラーキン産業が興ったのだった。スウェイトの企てが、結果として

 その産業の発端になった。

 スウェイト編の『書簡選集』には、気を許した友人・知己に宛

てた、興にのったりおどけたりしながら書いた手紙が集められて

いた。詩人にとってより重要なのは、詩の源泉が分かるような手

紙の方であろう。母エヴァに宛てた手紙がそれに当たる。その手

紙をスウェイトは『同選集』に入れなかった。なぜ入れなかった

のかをある学会の席で問われたとき、「それが多すぎるからだ」と

答えた。

 母への手紙を編んだ書簡集がとうとう出た(3)。スウェイト編の

『書簡選集』が出てから27年たっていた。こういう際には本物

が現われる。母宛ての4000通を読むのはさぞ大変だっただろう。

600通強が選ばれている。長い手紙を毎週少なくとも2通、この

息子は母に出していた。母が洗濯機のローラーがうまく廻らない

とこぼすと、ラーキンは一緒になって悩んだ。古くからの道具が

手に入らなくなったのを母が嘆くと、一緒になって嘆いた。それ

らの手紙はラーキンの詩の「テーマでありミューズだった」(ブー

ス)。不思議なことがあった。母が弱って介護施設に入ってからは、

これまでに出していた長い手紙が絵葉書になった。その頃からラ

ーキンの詩作はめっきり衰えた。その頃からの作では 'Aubade'

'Love Again' だけが後世に残った。Letters Homeの編者はジ

ェイムズ・ブース、社会による運動の標的になっていたラーキン

を、 詩人に戻そうと長年努めてきた。決意の成果の一つがこの書

簡集だった。「序文」がラーキンの詩を論じている。詩を論じるこ

とによって非難されてきたラーキンを弁護している。これほどの

ラーキン詩論はこれからで出ないだろうとさえ思われる。この書

簡集に対してLRB, June 20, 2019 TLS, Aug. 22&30, 2019は、

ともに大物の評者と広い紙面を当てた。前の評者は詩人・批評家

マーク・フォード、後の評者アラン・ジェンキンズは同誌詩部門

専任。ともに好意の評を寄せた。

 書簡といえば、T. S. エリオットが書いたラヴ・レターが公開

されている。

 没後の著作権による保護が終わったらしく、プリンストン大学

図書館の地下室で読めるようになったと4が報告している。い

ずれ編纂されて出版されるだろう。そのときその書簡集はどのよ

うな役割を持つのだろうか。3Letters Home にはラーキン

を詩人に戻す役割があった。

 エリオットが手紙を宛てた相手は、教師でアマチュアの女優だ

ったエミリー・ヘイル( Emily Hale )。二人は1912年に、ハーヴ

ァードでともに大学院生の時に知りあった。エリオットが出した

手紙1131通の、おおよその内容を、オックスフォードで教えて

いるハナ・サリヴァン(Hannah Sullivan) が、TLS, Jan.31, 2020

で紹介している。

 紹介によると、エリオットの優柔不断が、エミリーを生涯にわ

たって悲しませた物語があった。たくさんの不毛な出来事によっ

てその物語は出来上がっている。エリオットは最初の妻と結婚し

てから、自分は不倫したことがあると喋っておきながら、エミリ

ーとは不倫をしなかった。妻ヴィヴィアン(Vivienne) が急死して、

いよいよこれで、と弾んだエミリーに、結婚を準備しようと手紙

を書いた。ところが10日後に、それを撤回した。実はその気に

なれないと、凝った文体の手紙を書き、あなたにとって私たちの

間柄は、結婚にはならない、あなたの思いだけ (personal) のもの

のはずだと決めつけた。ヴァレリ(Valerie)と再婚してからも、エ

ミリーへのどっちつかずの態度が繰り返された。この煮え切らな

さは、性格の弱さというよりもエリオットの人間の根本を成して

いた。熱烈な手紙を書きながら、愛しているのは肉体がでなくて

観念がであり、肉体を持たない幽霊が恋をしていたのだった。そ

れを自分で分かっていた。エミリーは第二次大戦時に、叔父叔母

とアメリカに疎開し、そこで叔父が亡くなり叔母が失明して、や

っと自由になった。エリオットはアメリカを訪れてエミリーに会

ったが(1947)、そのとき彼は59, 彼女は56, 彼は翌年歯を

全部失った。知りあってから35年、ついに性の交わり(コンサメ

イション)には至らなかった。

 相手と距離を置きながら置きたくなかった。エミリーを生殺し

にしながら、不毛を歌ういつもの詩を作った。エミリーが詩作の

ミューズになった。そういう自分をミイラになって生きているよ

うなものだと自嘲した。ミイラにされたのはエミリーだった。TLS

の紹介文のタイトルは、‘The moment of embalming’「ミイラに

する時刻」となっている。ミイラを保存する薬としての手紙を書

く「時刻」をいっているのだろう。保存薬が1131個(通)あっ

た。ミイラにされたから結婚できず子供もなかった。女性の紹介

者ハナ・サリヴァンはこのミイラに深く同情している。

 ブースが編纂した母への書簡集がラーキンの人間と詩の源泉

を示した。それと同じように、いずれ出るラヴ・レター集もエリ

オットの人間と詩の源泉を示すだろう。しかし、紹介文を読んだ

限りでは、人間への解釈を大きく改めるようなものではなさそう

である。エリオットがこういう人間だったとは、彼の詩の読者は

分かっているはずだ。少しの詩に対しては、解釈を改めるかもし

れない。コッツウォルズ地方にある美しいチッピング・キャムデン

村に、エミリーの叔父叔母の故国での家があった。エミリーと

エリオットはその家からつれだって、近くに今もある豪邸の跡地、

あのバーント・ノートンに何度も行った。詳しくは書けないが、‘A

Valedictory’ ‘Burnt Norton’ (「四つの四重奏」)には、エミリ

ーがこれまでいわれてきたよりももっと深く関わっていて、詩の

部分の、意味の重みが少し変わってくるはずだと、この紹介者は

示唆している。修復される部分は、別の詩にも出てくるかもしれ

ない。

 脱個性を唱えたモダニズムは、芸術史にはなくてはならないも

のだった。しかしエリオットのモダニズムには、個人的な経験が

深く関わっていた。そのことを明らかにした材料はすでに出てい

る。その種の材料の中で、ラヴ・レター集はどうやらかなり重い

ものになるらしい。冷静沈着に受け止めたいものだ。

 

 TLSの紹介文は、60歳と57歳になった二人が並んでいる写真

を載せている。細身のエミリーが、上半身をエリオットから少

しそらせて立っている。