講座・高座

 岡 照雄    

 

  英国の十七世紀後半、共和制から王政復古への動乱の時代では、

  長老派をはじめピューリタン系の説教者に対する王党派側の詩文の

  反感は激しく、根深いものがあり、次の世紀に入ってもこの憎悪が

  別の分野に準用された形跡がある。彼ら説教者が反乱を使嗾し、国

  内大混乱を招いた張本人だ、と王党派は見ていて、その方面から出

  る政治諷刺詩に現れる反説教者用語の豊富さ、器用さには独特の味

  わいがある。どちらの派の肩を持つか、とはまったく別の問題で、

  宗派対立を超えることばの遊び、面白さがある。諷刺詩ではないが、

  Hobbes: Behemoth の次のような一節からも、時代の空気を推測す

  ることが出来て、英文学の者にも大いに参考になる。次の文章は『ビ

  ヒモス』(山田園子氏訳、岩波文庫)からの引用の一部で、A B

  の対話形式で書かれ、これは A の発言である。

 

「まず、説教のやり方としては、長老派は説教壇に入る際に表情

や身振りを工夫し、祈祷と説教の両方において発声を案配して、人々

が理解しようとしまいと聖書の文句を利用した。それは、この世の

どのような悲劇俳優といえども、彼らよりも上手に、まっとうな信

仰篤い人物を演じた者はあり得なかったほどだ。」(51頁)

 

   文頭で「まず」と言うからには話が長くなる、と読者は思う。ま

  さにその通り、このあとまだまだ続くが、天上から降る精霊、光明

  の促しによって語る、という説教者の建前を A は全面否定し、前

  以て努力して用意した脚本に従う芝居、演技だと見て大嫌いである。

  身振り、セリフとセリフ回しは説教者の前もっての工夫で、要する

  に「芝居がかり、パフォーマンス」だというのである。この趣旨に

  基づくホッブスでは、やがて「長老派のようにうまく演技しない説

  教者を軽蔑するのが習いとなった」とA は言う。次に注目すべきこ

  とは、説教中にサッと即興的ふうに出る聖句も、実はその道の辞書

  などで準備されたもの、この  acquired readiness  が一番気に

  入らぬ、とホッブスは書いている。動詞 Acquire は、親方のもとで

  決まりの期間の年季奉公で修業をし、その道の技術を「努力によっ

  て身につける」ことである。

  (注:太平洋戦時中の中学生の中には、「学徒動員」で、旋盤工な

  どの技術を厳しい講義と実習から成る Intensive course  acquire

  した者がいる。これらの工作機械一般を英語では Machine tools

  いう。ここだけ、先生、つまり親方が英語を使ったので憶えている。

  彼ら、つまり我々は工場内では「学徒」と呼ばれ、ゲートを一歩出

  ると「生徒」になる。十七世紀で話題になるのは説教者、すなわち

  「聖徒」である。)

 

   歴史的な事情は全く違うが、日本の仏教でも「節談説教」という

  説教と謡いの融合とでも言うべき芸があると聞いたのは四十年余り

  前のことで、知人に教えられて仏教大学公開講座の「説教の歴史」

  を京都市内・四条烏丸近くのビルで三回連続で聴講した。説教から

  落語に至る道の解説と、それぞれの段階の実演というよく出来たカ

  リキュラムである。「高座」という語が元々仏教用語だということ

  も教えられた。東京から招かれた柳家小三治師匠の噺に大笑いし、

  お名前は忘れたが伝統芸能保持者の先生の演技は真面目に聴いた。

  この方は愛知県のご高齢の方だった。念のため、習い覚えたインタ

  ーネットで「節談説教」、「柳家小三治」を試してみたら、説教と

  小三治師匠の実演を複数動画で見学することができた。

   Alexander Pope  The Dunciad   neither said nor sung  とい

  う一句、「語るでもなく、謡うでもない」をあれこれ考えはじめた

  のもこの頃のことである。この句は英国国教会の『祈祷書』の用語

  を一捻りしたのではないか、とも。ポープは、彼の時代の新興詩文

  の文士を前世紀の説教者の後裔と見做したのではあるまいか。最後

  にもう一言。英国革命下の国王処刑、動乱と王政復古を見た John

   AubreyBrief Lives の中に John Milton の項があるが、その末尾

  の文章を橋口 稔、小池 銈訳のオーブリー『名士小伝』(冨山房百

  科文庫)から引用してみた。文中の「彼」とはミルトンのことであ

  る。ミルトンとドライデンの場合も宗旨が正反対のようだが、オー

  ブリーの記事では両人はわりに親しくしていたようで、その事情は

  私には解らない。

 

 

   「彼の未亡人からしかと聞いた話であるが、ホッブズ氏は彼の知

  友ではなかった。彼はホッブス氏を嫌っていた。しかし、才能あり、

  学識ある人とは認めていた。二人の関心事が、主義が正反対だった

  のである。ホッブスの『ビヒモス』を参照されよ。」