ロサンゼルス講演

「いかにユダヤのユーモアを日本語に翻訳するか」

 

広瀬佳司

 

 

   814日に関西空港を飛び立つまでは、台風10号の影響をとて

  も心配したが、空港に着くと何とか飛ぶということがわかりほっと

  した。それもつかの間、遅れそうだというアナウンスがあり、最後

  まで心配したが、30分ほど遅れて飛び立った。大した揺れもなく無

  事にロサンゼルスに着陸した。今回私を招聘してくれたイディッシ

  ュ語協会の主催者である友人ミリ・コーラル、カルフォルニア大学

  ロサンゼルス校(UCLA)講師が待つので入管へ急いだ。

  入管はフランスとインドからの客でごった返していた。ターミナ

ルがよくなかったようだ。ここで2時間ほど待たされた。いつもな

らイライラするのだが、この度はアメリカに無事着いたのだからよ

いかと平静を保てた。前に並ぶインドから帰国した母親と、まだ小

学生くらいの娘さんと話して、アジア人としての家族の強い絆とい

う共通性を感じた。やはり、ヨーロッパ人とは違う、というのが実

感である。後ろについてきた中年のフランス人は、いかにも陽気で

私とジョークの応酬でお互いによく笑った。厳しい表情のアメリカ

の入国係官や、長く待たされて苛立っている多くの旅行者は「こい

つら何が楽しくて笑っているんだ」という表情で私たちを見ていた。

イライラしながら2時間も待たされ苛立つよりも、にこにこして、

国際コミュニケーションを楽しんだ方がよいと思う。客たちは、こ

こには携帯の電波が全く届かないので、皆、手持無沙汰な様子であ

る。私にしてみれば、それならむしろ、見ず知らずの人同士でも楽

しんだ方がよいと考えたのだ。おかげで、2時間があっという間に

過ぎ去ったから不思議だ。アインシュタインの言う通り、時間も相

対的なものでしかない。

  2時間以上ミリを待たせたが、到着ロビーで辛抱強く待ってくれ 

ていたので、私もほっとして彼女とハグをした。今回は、ホテルで

はなくヴェニスという観光地の民宿を選んでいたので、そこへ連れ

て行ってもらった。イタリアのヴェニスを模して造られた人工運河

が1.6平方マイルにめぐらされた高級住宅地である。その一角に

あるお宅の裏に建てられた平屋の一部屋を間借りした。小さな庭も

ついたしゃれたコテッジだ。母屋には家主の70代後半に見える女

性が一人で住んでいる。歌が好きで、週一回ピアニストを呼び、歌

の稽古をしていた。近く発表会があるので稽古中であるという。

ロサンゼルスの講演主催者や旧友たちが、講演日以外のプログラ

ムを準備してくれたので、私は、カークボール歴史館や、日系人が

かつて住んでいたリトル東京の夏祭り、大リーグのドジャーズ対ト

ロント・ブルージェイズの試合観戦など、楽しくロサンゼルスの生

活を満喫させてもらった。とはいうものの、今回は観光が主目的で

はないので、その間にも18日の講演会の原稿をチェックしたり、

仮想質疑応答に備えたりで寝つきが悪くなった。

  講演当日は、リハーサルのためサンタ・モニカ・シナゴーグに講

演会の2時間前に到着した。このシナゴーグの所有者は、日本でも

よく知られるユダヤ系の歌手であり、2016年のノーベル文学賞を受

賞したボブ・ディラン(Bob Dylan 1941-)である。皮肉なことに、

その有名な歌手が所有する会場で、最初からマイクの調子が悪く主

催者のミリはとても焦った様子であった。一方、私は「何とかなる

だろう」と、不思議なほど焦燥にかられることもなく落ち着いてい                  た。ボブ・ディランの『風に吹かれて』(Blowin’ In The Wind)を思

い出しながら、「答えは風に吹かれている」(神のみぞ知る)という

意識に囚われていたせいかもしれない。聖書でも神の象徴として「風」

が用いられる。

  講演が始まるまでにはマイクも無事セットされて、気持ちよく話

すことができた。50人ほどの観客なので話しやすかった。在ロサン

ゼルス日本国総領事館からも豊田紀子副領事が参加してくれた。ま

た読売新聞のロサンゼルス支局長の久保庭総一郎氏、サイモン・ヴ

ィーゼンタール・センター(Simon Wiesenthal Center)の研究員の

山本真美子氏、地元の日系紙『サン』の編集長である金丸智美氏も

参加してくれた。その他はユダヤ系アメリカ人がほとんどである。

  今回のテーマは「いかにユダヤのユーモアを日本語に翻訳するか」

であった。イディッシュ語という、戦前の東欧・ロシアのユダヤ人

が用いていた言葉におけるユーモアを主題にしたので、ある程度イ

ディッシュ語が分かるユダヤ系の人々は終始大爆笑である。22年ほ

ど海外講演をしていて、これほどにユーモアが受けたことはない。

日本の大学者の先生からは「ユーモアが受けたから何なのだ」と軽

蔑されそうである。ただ、言語のみでなくユダヤ的な宗教観・歴史

観が彼らのユーモア感覚を形成しているので、その笑いには、内部

の人にしか理解できない複雑な要素が多く含まれている。そのため                 に、日本人の方々には、まったく面白くない講演だったと思う。か

といってこの紙面でユダヤのユーモアを説明するほど私も野暮では

ない。笑いなど、説明や解説しても何の楽しみも伝わらないからだ。

とにかく、私の講演はユダヤ系のアメリカ人にはとても喜ばれてほ

っとしたのは事実だ。

  講演で説明した言葉に、「ケイン・エインホーレ」(keyn eynhore

「悪魔の目から逃れられますように」)という言葉がある。イディッ

 シュ語の表現ではよく使う。例えば、法廷の証人席で「何歳ですか

と」と尋ねられて老人が「ケイン・エインホーレ、82歳です」と

答えると、裁判官が余計なコメントは挟むな。何歳なのか?」と

再び尋ねる。また同じように「ケイン・エインホーレ、82歳です」と

答える。「これ以上、私の質問を無視すると、法廷侮辱罪になるぞ!」

と裁判官が激怒すると、ユダヤ人の弁護士が助けに入る。「ケイン・

エインホーレ、何歳ですか?」と尋ねると、老人は安心して「82

です」と答える、というジョークがある。この「ケイン・エインホ

ーレ」はそのまま日本語に訳せば「くわばら、くわばら」である。

しかし、この場合は「おかげさまで」と訳すのが自然であろう。「ケ

イン・エインホーレ」の部分に「おかげさまで」を入れれば、その

まま日本語でも意味が取れよう。

  このような翻訳の問題を説明しながら、ユダヤのユーモアを交え

て講演したのだ。ユダヤ(イディッシュ語)のユーモアを日本語に

翻訳する際に、やはり一番難しいのは一神教と多神教との概念の相

違であろう。文化・歴史・慣習の点はある程度、学ぶことで理解す

ることができる。しかし、大自然の中に神秘性を感じる日本人のア

ニミズム的な感性には、絶対神の概念は、どうしても生理的に受け

入れがたい。一方で、元ハーバード大学教授ルース・ヴァイス(Ruth

Weiss)が自著『冗談じゃないわよ――ユダヤのユーモア』(No Joke,

Making Jewish Humor 2013)で語っているように、ユダヤ人の世

俗化で、最近ではユダヤのユーモアでも、絶対神というようなユダ

ヤ教の題材は好まれなくなっているようだ。

  質疑応答では、日本のユーモアについての質問が多く出たので私

は落語や小話などを披露した。多音節の日本語では、駄洒落の言葉

遊びがいかにたやすくできるかも説明した。

 『屋根の上のバイオリン弾き』が日本で人気を博すのはなぜか? 

日本にはロシアであったような「ポグロム」(大量虐殺)はなかった

から理解できないのではないか、という質問だ。「日本には、親子関

係の強さや、伝統の大切さという共通点があるために、日本人は『屋

根の上のバイオリン弾き』にとても共感を覚えるのです」と答えた。

しかし、質問した中年男性は、あまり満足してはいない様子であっ

た。50人弱の参加者の3割程度の人が手を挙げるので、とうてい時

間が足りずすべて答えるわけにはいかなかった。「ユダヤのユーモア

と日本のユーモアの類似点はなんですか?」という興味深い質問が

あったので、「大阪にはユダヤ的な自分を貶めるボケとツッコミとい

う笑いがあり、意外な共通性があるのです」という説明をするとに

っこりして頷かれた。文化の違いもよいが、共通性も見ておかない

といけない。30分ほどの質疑が終わり、何とか責任を果たせたかなと

安堵した。

  翌日、前日の私の講演会に取材のために参加してくれた読売新聞

の久保庭総一郎氏と共に、有意義な一日を過ごした。彼はロサンゼ

ルスに一年住んでいるがユダヤ世界のことがわからないというので、

それならミニ講義をしましょうか、というのがそのきっかけだった。

ユーモアのある愉快な方だ。彼のオフィスは町の中心街の高層ビル

16階にある。窓から望む光景も素敵だ。ロスの中心街の街並み

が一望できる。ロサンゼルスでは最近、移住者が増えて土地の高騰

が続いているようだ。日本語が理解できる2人のアメリカ人がアシ

スタントとして働いていた。

   食事をしている時もいろいろな質問を受けた。とても熱心に質問

  をしてくれたので私は話しやすかった。食後、最初に、ホロコース

  ト記念館へ行きましょうということになり、行ってみると、あいに

  く休館日。3年ほど前に、私はそこで依頼されて講演をしていたの

  で懐かしかったのだが残念であった。そこで急遽、サイモン・ヴィ

  ーゼンタール・センターに行くことになった。

  このセンターは情報機関であると同時に、ホロコースト教育を主

とした記念館にもなっていて、小学生から一般人に至る多くの見学

者が訪れる公共の教育施設でもあるので、建物だけでも巨大なもの

である。せっかく訪れるのであれば、そこで勤務している山本真美

子さんにも連絡しようと、到着する15分ほど前に電話をした。到

着してしばらくすると、山本さんが出迎えてくれた。開口一番「先

生、今大変なことになっています」と山本さんが言う。何のことか

わからず尋ねると、サイモン・ヴィーゼンタール・センターの代表

の所在を確かめるために大騒ぎをしているのだという。「広瀬先生が

来られるのに、代表が挨拶しなければ大変なことになるのです。私

の首が飛びますよ」と言って首を切るしぐさをする山本さんは真剣

な表情である。それを聞いた私が驚いた。そんなことになるとは夢

にも思ってはいなかったからだ。安倍総理がお忍びで来るというの

であれば、そういうこともあるかもしれない。しかし、たかが一介

の田舎学者のために、と思ったが、反面その心配りがうれしかった。

山本さんは、ロサンゼルスで何度も私の講演に来てくれていたのだ。

彼女の手配のおかげで、サイモン・ヴィーゼンタール・センター訪

問が重要な意味を持つことになった。また、そこまでしてくれる彼

女の心遣いに、日本人としての責任さえ感じた。

  しばらくして、サイモン・ヴィーゼンタールの本部建物へ案内さ

れ、副所長のアブラハム・クーパー氏(Rabbi Abraham Cooper)が私

たちをにこやかに迎えてくれた。「再会できて光栄です」という挨拶

を受けた。半年前の327日に日本外務省の特別講演をこのセン

ターでさせて頂いた縁である。

  ラビ・クーパー氏は日本に40回は来ているので日本通である。

日本の政治家とも親しいのだと思う。彼のオフィスには、クリント

ン元大統領をはじめ世界の要人が訪れた時の記念写真が飾ってある。

ここは、ユダヤ社会に関する全世界の情報機関の中心でもある。日

本の副総理が「ヒトラーはその思想を間違えていたのではなく、手

段を間違えたのだ」と心無い発言をした際にも、その発言をすぐに

告発したのがこの機関であった。日本政府も随分神経を尖らせるア

メリカ最高峰の情報機関である。

   今回は私がサンタ・モニカ・シナゴーグで「いかにユダヤのユー

  モアを日本語に翻訳するか」と題した講演をしたので、それに関す

  る言及があった。レオ・ロステンの『新イディッシュ語の喜び』を

  「日本ユダヤ系作家研究会」のメンバーと協力し翻訳・監修したこ

  とをご存じで、「あの作品はユダヤ文化理解には、非常に大切である」

  と念を押すようにラビ・クーパー氏は言われた。「その意味で先生方

  の文化貢献は偉大なものです」と称賛してくれた。「ユダヤのジョー

  クはなかなか理解しにくいので、理解して笑うまでに何日もかかる

  人が多いのです」とラビは笑いを誘う。そんなユーモアを挟みなが

  ら、私が爆笑するのを確かめていた。同伴した久保庭氏は、きょと

  んとしていた。ユダヤ人はしばしばジョークを言って相手の反応を

  確かめる。これがユダヤ式コミュニケーションの通過儀礼でもある

  のだ。私の個人的な経験では、どんな有名なユダヤ人学者でも随所

  にユーモアを挟む。深刻な議論を、深刻な表情で話し続ける知識人

  には今まで会ったことがない。この辺が日本人の学者が入りにくい

  部分であろう。ラビ・クーパー氏との会見後、同博物館を山本氏の

  案内で見て回り帰途に就いた。

  夕方は、久保庭氏と共にヴェニスの海岸を散策し、イタリアンレ

ストランで食事をして、私の泊るコテッジへ向かった。美しいヴェ

ニス・カナルに面した瀟洒(しょうしゃ)な家並みの前庭には低い

垣根がめぐらされている。そして、その垣根のすぐ外側には、カナ

ルに沿って誰もが自由に散歩できる小道が通っている。カナルを見

ながら食事を楽しむのがそこの住人の楽しみなので生垣は1メート

ルほどの高さしかない。その高級住宅地のカナルに面した一軒の前

庭で、私の講演会に来てくれた一家が、庭の広いテーブルを囲み食

事を終えリラックスしていた。私は彼らに気づいたが、家族の大切

な時間を邪魔してはいけないと思い、知らないふりをして小道を通

り抜けようとしたが、私に気づいた彼らはすぐに立ち上がり、ヘル

マン夫妻と、彼らの息子であるダニエルさんが「ハロー・プロフェ

サー」とにこやかに声をかけてくれ、私たちを是非にとお茶に誘っ

てくれた。ジェリー・ヘルマン氏は外科医、ダニエルさんは工学博

士だ。典型的な高学歴ユダヤ人である。開口一番、ダニエルさんと

母親のサンディーさんが、満面の笑みを浮かべて、「昨日の講演は

素晴らしかったです。とてもよかったです」とほめてくれた。前日

の私の講演「いかにユダヤのユーモアを日本語に翻訳するか」は食

卓にふさわしいテーマだったらしく色々と尋ねられ、食後のひと時

が笑いで盛り上がった。私が幼少の頃から、笑うことが大切だと考

えていた母は、いつも自ら冗談を言っては笑っていた。おかげで、

自分にはユダヤ系の遺伝子が流れているのかもしれない、と思うほ

ど笑いを好むようになった。

 

  ところで珍しい苗字であるので少し解説すると、ヘルマン

(Helman) “Hel”{ヘブライ文字で書くとhei, ain, lamed}はイディ

ッシュ語で “clear, bright, fair, light(in color)” であり、肌の色を表

す。つまり「色白の人」を意味する。またポーランドに実在した

ルム(Chelm)という町の名前からとったのかもしれない。面白い

ことに、ヘルムは、イディッシュ文学作品では「阿保の町」という

伝説上の町としてもよく知られる。レオ・ロステンの『新イディッ

シュ語の喜び』にも、ヘルムの住人がしでかす笑い話が例証されて

いる。一つ引用してみよう。

 

  阿保の町(ヘルム)の賢者たちが、月と太陽とでは世界にとっ

てどちらがより重要かということを議論し始めた。この共同体は

2つの熱心な陣営に分かれた。そのとき1番偉い賢者が次のよう

に規定した。月の方が太陽より重要に違いない。なぜなら月の光

がなければ、夜はあまりにも暗く何もみえない。しかしながら、

太陽が輝くのは昼間だけだ――昼間は光がひつようないという

のに!(『新イディッシュ語の喜び』)

 

  また、ノーベル文学賞を受賞したイディッシュ作家アイザック・

バシェヴィス・シンガー(Isaac Bashevis Singer 1902-1991)も『ヘ

ルムのあんぽん譚』(The Fools of Chelm 1973)という民話風な笑

い話を著わしている。ユダヤ系の知識人には、この辺の事情はよく

知られている。文末に引用したヘルマン氏のメールにも「ヘルムの

本当の話ですよ」(a "true story" from Chelm)と、ヘルマン氏がそ

の民話を熟知していることを示唆している。

  このように、いずれにせよ、ヘルマン氏の名前は決して “hell”(地

獄)ではない。ユダヤ人の苗字の研究はとても面白い。ナポレオン

以降、それまでは苗字がなかったが、ユダヤ人に苗字が売られた。

金持ちのユダヤ人は “Goldman”(金の男)、 “Silverman”(銀の男)、

“Rosenthal”(バラの谷)など貴金属や花の名前を付けたようだ。現

在も使われる名前にはあまりよくないものもある、

“Watenmaker”(cotton maker=rag man, rag picker)である。綿くずを

集めて布にした人のことだ。この名前はイディッシュ語では、しば

しば “Devil”(悪魔)を暗示するという。いずれにせよ、現在のア

メリカ人は多様な人種が混じるので、名前の起源などは気に留めな

いかもしれない。

  ヘルマン家で30分ほど楽しいひと時を過ごして、お暇した。二

日ほどご一緒して久保庭氏も私の交友の広さに驚いた様子であった。

また、記者としてユダヤ社会の一面が学べたせいか、とても満足し

たようだった。彼には、「久保庭さんのような海外特派員が、日本の

ニュースや新聞に大きな影響力を持つので、色々とユダヤ社会のこ

とも学んで正しい情報を日本に伝えてください」とお願いし、お別

れした。日本の多くのメディアの方々が、「笑い・ユーモアは、人々

の関係を和ますだけではなく、お互いの心の深い部分にまで触れる

ことができる大切なコミュニケーションの武器である」ということ

を理解してほしいと考える。

 

                              後記

  ヘルマン氏が私の質問に応じてすぐに答えを送ってくれた。

 

   Yoshi,

 

 

 

   My wife Sandy, son Daniel and I were delighted to hear your talk and

   have you as an honored guest.

   My surname Helman comes from the Russian Gelman (the g is

   pronounced as an h). I was told it refers to the color yellow, so bright or

   fair makes sense as there were many fair-skinned and blue eyed

   relatives in my father's family. My father came from southern Belarus

   (city of David Horodok or Gorodok) between Pinsk and the Ukrainian

   border.

   As far as Chelm is concerned, a nephew married a talented Canadian

   woman, who had traveled to Poland with a singing group. She

   presented us with a "true story" from Chelm. The concert was outdoors

   and the rains came. Heather was impressed by the ingenuity of the

   people of Chelm; they covered their heads with newspapers to protect

   themselves from the rain. She is a convert from Minneapolis who is

   fluent in Yiddish. She and her husband recently became Canadian

   citizens having moved to Montreal several years ago to be in a Yiddish

   speaking community that is not Orthodox. If you have occasion to be in

   Montreal; it has many first generation Russians, some of whom speak

   Yiddish.

   Hoping to visit Japan in the near future.

   Jerry