The Medway の上流と下流

 

 岡 照雄

 

    六十余年前の旧いよい時代には、渡英する旅人の多くは神

  戸・横浜から客船か貨客船を利用した。航海の大半を終えて、

  地中海の西端からジブラルタル海峡(通称ジブ)を抜け、北

  上して英仏海峡に入る。やがてテムズ河口に達し、ロンドン

  はもう眼前、という四十五日にわたる航海である。テムズ河

  に入ってすぐに、左手に大きな河の河口が見えるが、それが

  メドウェイ河 The Medway で、河口にシアネス Sheerness

  の町も見える。

 

    Ben Jonson の詩 To Penshurst は、この有名な邸宅の美

  観と、それを引き立てる田園の美しさを語るが、メドウェイ

  河上流の描写もある。豊かな流には様々の魚類が住み、その

  両岸では貝類等も豊富に獲れるらしい。水かさが増して魚釣

  り投網が出来ないときでも、近辺の複数の池の魚は釣り針や

  漁網にすすんで身を寄せる、とまでいう。しかし、このうる

  わしい邸宅と田園の風景は、メドウェイ河の上流の話で、河

  口では全く異なる光景が広がる。

 

    河口から遡航すると、これも間もなくチャタムChatham

  が見えるが、ここには英国海軍の基地、ドックなどがある。

  ここまでの下流では、両岸から Ooze が流れ出て水底に堆積

  し、かなりの河幅だが大中船舶の航行は困難である。ウーズ

  とは軟泥で、大きく河底に張り出しているからである。地図

  を見ると複数のウーズにそれぞれ地名ではなくてウーズ名

  が与えられている。この難しい航路を突破してオランダ艦隊

  が侵入し、シアネスを一時占拠し、遡航してチャタム基地を

  艦砲射撃、英国軍艦を撃沈、英旗艦を本国に曳航する、とい

  う事件があった。沈没寸前に総員退去の命令が出て、水兵た

  ちはそれぞれ水中に dive し、ついに軍艦自身も水兵に倣っ

  て dive した、と Andrew Marvell は書いた

 

    この危険なウーズを避けて航行したオランダ艦隊には、河

  口の水路を熟知する英国人パイロットがいた、という噂が広

  まった。また、防御のために英国が水中に設置したチェイン

  の上下作動が実行されなかった、当局は本当に設置していた

  のか、その強度のテストは出来ていたのか、などが下院で問

  題にされる。撤収するオランダ軍艦からは英語のあまり上品

  でない歌声が聞こえた、という人もいた。ここで英国海軍官

  房長相当のサミュエル・ピープスの出番になった。

 

    わたしが Ooze という名詞に出逢ったのは、五十年余りま

  え、C. P. Snow の小説のなかだったが、その題名は忘れて

  しまった。Corridors of Power だったかもしれない。高級官

  僚の人事争いで、次官とか局長の執務室のドアの下の隙間か

  ら、敵視する相手への憎悪のウーズが廊下にじわじわと流れ

  出る、という場面である。実は、わたしはメドウェイ河口の

  水際まで降りて、岸に堆積したウーズを手に取ってみたこと

  がある。どす黒くて、手触りも気持ちもよくなかった。

 

    メドウェイ大敗北については、昭和天皇がご存知であった

  ようである。それは昭和中期の日本陸軍某高官、侍従長級の

  人、の日記からの推測である。なぜウーズのことをしつこく

  記したか、といえば、『サミュエル・ピープスの日記』にこ

  の大事件とその収拾、議会対策、河周辺の軍備の事後調査、

  本人の感懐などが記されているからで、それに加えて、アレ

  キサンダー・ポープの 『ダンシアッド』The Dunciad 第二

  部を読むのに良い参考になるから、である。