大学入試あれこれ

 

土屋 繁子

 

 

志望する大学1校だけを受験して、目出度く合格、という幸せな学生は、          余りいないに違いない。第一志望の大学に入学した者の多くは、「滑り止め」          に第二、第三志望校を受験しているものである。第一志望校は不合格、と           いう者は、やむなく第二、第三志望校に落ち着くが、なかには第五志望に           落ち着く者もいたりする。或いは第一志望しか考えられなくて、一浪、二           浪してでも初志貫徹しようとする者もいるだろう。また、それぞれの「滑           り止め」校に入学したものの、やはり第一志望校への夢を諦めきれず、再び           受験生活に戻る者もいうように、大学への進み方は人さまざまだが、「幸           せにも」とは言い難い大学に落ち着いたからと言って、その学生のその後           の人生が「不幸せ」であるという訳ではなく、それなりに華があるものと           なるのが世の常である。「浪人の経験は無駄ではない」、「浪人経験者の方が           世事に長けている」という言葉も、負け惜しみなどではないだろう。

最近話題になった某医大の入試の合否判定に関する不公平な扱いは、受           験生たちの本来あるべき「人生」への大学側の不当な干渉であり、それぞ           れの学生が本来経験する筈の人生の「豊かさ」や「面白さ」を削り取って           いるようなものだ。しかし、はるか昔、大学への進学者が少なかった時代           には、私立大学の専任教員は、自分の身内の受験生を何人か合格させる特           権を与えられているのが当たり前であったらしい。私が学生だったとき、           受験シーズンに、「従弟がこの大学の他学科を受けて不合格になった」と指           導教授に話したところ、「前もって言えば合格させたのに」と言われて、初           めて裏口の存在を知った。従弟の父親、つまり私の叔父が多少は名を知ら           れた評論家であったが故の好意的発言であったらしいが、私にとってはシ           ョックであった。そういえば、同級生に他学科の教授の令嬢がいて、こと           あるごとに「私は補欠で入ったの」と言っていたのは、彼女の特権的立場           を誇示したかったが故のことであったのであろう。

しかし私が関西の私立大学の専任の教師になったときには、その類の話           は身の回りに全くなかった。昔からそうであったのかもしれないが、たと           え昔はあったとしても、世の中の空気が厳しくなっていて、裏口入学など           は許されない時代であったのであろう。入試委員は身内に受験生がいない           ことが第一条件であり、問題漏洩に関する防止策は厳重であった。(但し、          教員の子供が入学した場合、授業料が免除になる、とか、半額になる、な           どの特権は与えられていたようである。それは他の私立大学でも普通のこ           とであったのであろう。)

私が入試関連の作業に最初に関わったのは、国立大学の博士課程にいた           ときである。事務室から招集が掛かって、英語の○✕問題の採点など、頭           を使わなくてもいいような作業を担当した。院生が採点した後、入試委員           の教授のチェックがあり、万全の態勢であったが、採点場の雰囲気に慣れ           て周囲を観察してみると、偉い先生がたにも採点が早くて正確な方と、そ           うでもない方とがおいでになることが分かった。また、いい問題を作成な           さる教授が有能な採点者であるとは限らない、ということも学んだ。これ          は、後に私自身が入試問題の作成に携わったときに、役に立った知識であ          る。何しろ、後に経験したなかで最も驚かされたのは、受験番号順に綴じ           られた答案を採点していて、途中で席を外した老齢の教授が、戻った時に           その答案の束を採点完了と勘違いして処理して、半分未採点のまま処理し           ようとなさった、という出来事である。採点という作業は、とにかく自分           自身のことのみならず、四方八方に気を配っていなければならないものな           のだ。

最近の大学入試問題にミスが多いということが話題になっているが、そ           の要因として、チェック体制の不備、教員の多忙化、そして教員の問題作           成能力の低下など挙げられているが、昔と比べて、受験生の数も、教員の           数も、大幅に増えたのであるから、入試向きの優秀な教員を充分に確保す           るのは至難の業であろう。だいたい、教員採用の条件に「入試問題作成能           力」など入っていない。今から二年後に「大学入学共通テスト」が実施さ           れるそうだが、これは「現状改善の策」なのであろう。公平性はかなり確           保出来る筈である。ただ記述式問題を含むのかどうか。記述式、或いは論           述式問題は、受験生の複合的能力を知ることの出来る形式であるが、採点           者の能力が問われるし、人工知能などに頼るとしたら、果たしてそこまで           読み取れるかどうか。

昔、ある大学で、女子学生にはまともな論文を書けないものが多い、と           主張する教授が、大学院の入試問題に記述式問題を取り入れて、女子をな           るべく排除しようとした、という話を聞いたことがあるが、「女子は・・・」           とすぐに一般論にするのはどうかと思う。男子にも論文を書く能力を欠い           た者は結構いるのであるから、性別には関係なく、「論文が書けないもの」           と言うべきであろう。実際、一流と言われる大学院を出た教員の論文が、「中          学生並みの作文」と酷評された例を知っている。入試に記述式問題を出し           た場合、幾つかの必要なポイントをカウントする、というような、細かい           設定が可能だとしても、書く者の個性的な発想を評価し損なうのではない           だろうか。採点する教授たちの判断力の差にくらべれば、まだ「まし」だ、           という意見もあるだろうが。

問題作成が入試の第一の問題点であるとすると、次の問題点は採点の公           平性であり、第三の問題点は合格者数決定の判断の適否である。合格して           も他の大学に流れて行く学生の数が多いところでは、合格者のうちの何割           くらいが他大学に行ってしまうか、を考慮して合格ラインを決めなければ           ならない。補欠で調整すればいい、と部外者は考えるかもしれないが、補           欠を入学させても定員に満たない、ということも起こり得る。発表する合           格者の数は定員の2,3割増し、くらいが平均的なところのようだが、予           想が当たらないと、予定より入学者が多過ぎてクラスを一つ増したり、逆           に予定よりも入学者が少ないと、学年末に編入試験をしたりすることにな          る。これも入試事務の続きである。

多くの大学では専任教員の全てが回り持ちで入試に関わることになり、           それが教員として一人前だという証にもなっているようだが、入試委員が           誰であるか、は公表されない。そして本人たちは一年前から、あれこれ考           えることになる。他大学のそれまでの入試問題などにも目を通さなければ           ならない。これは結構大変な仕事であり、思わぬ悲喜劇を生むことにもな           る。出題者は英語の力のみならず。問題の出し方にも、センスのあるなし           が問われる。そしていよいよ入試本番、となった当日に、試験問題のミス           が発見されたりしたら、もう大変である。 センスのあるなし、で思い出           したが、私は自分の書いた文章を二度入試問題に使って頂いたことがある。          一つは某私立大学の国語の問題、もう一つは公立大学の英語の問題である。          その英語の問題でなるほどとおもったのは、「次の文章の言わんとするとこ          ろを英語で述べよ」というような出題の仕方で、(悪文が役に立った訳だ          が、)受験生の理解力、表現力・・・などが測れる。この問題がその後問題           集や模擬試験に何回も用いられたところをみると、やはりいい出題形式だ           と思った人が多かったのだろう。(ついでながら、国語の問題の方は、その           大学から挨拶状と、お礼として立派なお盆を頂いた。英作文の方は、挨拶           状だけであったが、何回も利用されたようで、著作物利用料なるものを何           回も文芸家協会から頂戴した。)

おそらく立派な学者であっても、入試問題作成には向いていないという           ことがある筈だが、教員採用の際にそこまでは考慮されない。向いていな           い人物が1割もいたら、それは実は大問題なのに、現実には1割以上存在           したりしている。しかし入試問題作成以前に、学者の資質に問題がある教           員が偶にいるのが不思議である。

女子が共学化された大学に入り始めたのは、1953 年である。1945 年に           終戦を迎え、1947年に「民主主義教育」を、ということで、義務教育の公           立小、中学校は共学となった。その教育を受けたものたちが大学に入り始           めたのが1953年なのである。当時、私立大学の文学部では女子は多いとこ           ろで2、3割であったようだが、法学部はかなり少なく、理系であると、ク           ラスに一人か二人、というところもあった。以後、年々女子学生は増加し           て行く。80年代に、非常勤講師として、女子の憧れの的と言われていた私           立の共学校で教養英語を担当したことがあるが、初日に教室へ入って行く          と、クラスのほとんどが女子で、「男子は・・・」と探すと、一番後ろの席           に二人座っているだけであった。入試で男女差別をしなかった証であろう。          だから女子に人気があるのかもしれない。

事務室から渡される名簿は、男女混合であるのが普通だが、或る大学で、          名前の後ろに性別が書かれている名簿を受け取って驚いたことがある。ミ           スター、ミス、と呼び掛けるなら、必要なのかもしれない、と思ったりし           たが、最近はどうなっていることか。

二年後には大学の入試に共通テストを行う、という案が支持されるのは、          多くの人が従来の問題点に気づいているからであろう。しかし人工知能に           採点させるとしたら、また新しい問題が浮上しそうでもある。今のうちに           よく検討して頂きたいものである。①入試問題作成上の問題点、②採点の           公平性、③合格判定の公平性、と挙げてみると、なかなか大変な問題であ           ると改めて感じるが、日本の未来を支えるのは、これからの受験生である。