エリザベス・ボウエンの現代性

 

木村 正俊

 

 

 ダブリン生まれのアングロ・アイリッシュの作家エリザベス・ボウエン

(Elizabeth Bowen,1899-1973)の評価が高まっている。Henry Jamesや

Virginia Woolfらの文学系譜に連なり、20世紀を代表する文学者として不

動の位置を占めながらも、見過ごされることの多かったボウエンであるが、

このところ彼女の独自な現代的テーマの重さを評価した先端的な研究書が

相次いでいる。Hermione LeeのElizabeth Bowen:An Estimation (Vision

and Barnes & Noble Press, 1981)が長らくボウエン研究のおもな拠り所

であったが、その後 Maud Ellmann, Elizabeth Bowen:The Shadow

Across the Page (Edinburgh UP, 2003)や Neil Corcoran, Elizabeth

Bowen:Enforced Return (Oxford UP, 2004)といった信頼性の高いすぐれ

た研究書が続いて刊行され、ボウエンの研究水準を大いに引き上げた。最

近では、ボウエンをJoyce やBeckett と並べてアイルランド出身作家のコ

スモポリタニズムの視点からとらえ直したNels Pearson, Irish

Cosmopolitanism:Location and Dislocation in James Joyce, Elizabeth

Bowen,and Samuel Beckett (UP of Florida, 2017)やゴシック要素の面か

ら究明したOlena Lytovka, The Uncanny House in Elizabeth Bowen’s

Fiction(Peter Lang, 2016)など注目すべき研究書が出ている。こうした

海外の研究成果と並んで、日本ではエリザベス・ボウエン研究会編『エリ

ザベス・ボウエンを読む』(音羽書房鶴見書店、2016)が発行されたことも

記しておきたい。

 ボウエンは鋭い作家的な目、驚くほどの才覚、しなやかな感性をもち、

崇高な表現スタイルを特色とした。心理主義的リアリストとして、当初は

Henry James やE. M. Forsterらと並び称されたほどである。だが、その

一方で、彼女の小説は一般に読みにくく、難解であるとも評された。批評

家のSusan Osbornは、編著Elizabeth Bowen:New Critical Perspectives,

Cork U.P.(2009) のなかで、ボウエンの作品のいくつかに見られる「歪み

のある断片的効果」や「風変わりな……難解な表現スタイル」を認めてい

る。描写がぼんやりしているとか、誰のセリフなのか把握しにくいなどの

批評がでるのは、Osborn の指摘する表現の特異さのせいかもしれない。

だが、ボウエンの作品をとらえにくいと感じるのは、彼女の表現方法や文

体のせいとだけは言えず、彼女のとらえた現代的テーマの広範さと奥深さ

も関わっていないだろうか。ボウエンはモダニストの側面ももち、20世紀

のかかえていた万般のテーマに触手を伸ばしていた。彼女の作品に表れた

現代的テーマとして、宗教と社会階層、植民地支配、人種、民族性、戦争、

スパイ活動、セクシュアリティ、ジェンダー、フェミニズム、ゴシック、

超自然、スピリチュアリズムなどを挙げることができよう。そこには、ア

イルランドのビッグハウスのような、当事者ボウエンならではのテーマも

含まれる。こうした多様なテーマの背景にある程度通じていなければ、ボ

ウエン作品の解読ないし味読は、難しいかもしれない。

 ボウエンは居場所を移動することの多い人生を送り、場所意識に強く取

りつかれた文学者であった。彼女はプロテスタント・アセンダンシーのボ

ウエン家の一人娘としてダブリンに生まれたが、7歳までは冬季はダブリ

ンで、夏季はコークにあるボウエン家のビッグハウス「ボウエンズ・コー

ト」(Bowen’s Court)で過ごすという二重生活を送った。長じてからはイ

ングランドやロンドンで暮らし、1930年以降はボウエンズ・コートの所有

者として、ロンドンとボウエンズ・コートを往復する生活を1960年まで続

けた。一方で、イタリアやフランス、アメリカなど各地へ旅行し、多極の

トポスを体験する。ボウエンのアングロ・アイリッシュ性は彼女の文学と

分かちがたく関わっている。アングロ・アイリッシュのプロテスタントは、

カトリックの国アイルランドでは少数派の立場に置かれたために、アイル

ランドのなかでは分離され、差異化された別種の集団とならざるをえなか

った。ボウエンは、ダブリンでの子ども時代の回想記『七たびの冬』(Seven

Winters, 1942)のなかで、ローマ・カトリックのアイルランド人はまった

く「他者であった」と述べている。

 アングロ・アイリッシュは実質的には、アイルランド人でもなければイ

ングランド人でもないという、分裂した帰属意識をボウエンはもっている

といわれる。Hermione Leeは、アングロ・アイリッシュは曖昧な性格を

もっていることを認め、Neil Corcoranもボウエンのなかに場所の影響から

くる両面感情が目立つことを指摘した。それは確立したアイデンティティ

とは程遠い、一種の宙ぶらりん状態である。アングロ・アイリッシュは、

その孤立性ゆえにアウトサイダー意識をもって判断したり、行動したりす

る傾向があるとされる。ボウエンの小説の分かりにくさは、一つには、こ

うしたアングロ・アイリッシュの曖昧な帰属意識からくる思考が作用した

結果かもしれない。

 代々のボウエン家の当主が引き継いできたビッグハウスで育ったボウエ

ンは、その建物のありようから多大な影響を受けた。建物にしみ込んだ伝

統的なファミリー精神がボウエンに乗り移り、憑依現象を起こしたのでは

ないかとさえ思われる。自ら著したボウエン家の年代記『ボウエンズ・コ

ート』Bowen's Court, 1942)やエッセイ「ビッグハウス」('The Big House')

のなかで、彼女はビッグハウスでの生活に見られる思想と美学を強調して

いる。社交的な(ボウエン家の)ヘンリーⅢ世によって建造が計画された

この邸宅には、アングロ・アイリッシュが最も隆盛した18世紀にふさわし

く、ヨーロッパ的な建築の理念が取り込まれていた。理念というのは、人

間的で、古典的で、規律あることへの願望のことで、ボウエンによれば、

ボウエンズ・コートは所有者の私的な名誉や誇示のためではなく、地域の

人々に集合場所を提供するためという、野心的で高邁なものであった。ボ

ウエンはこの邸宅のもつ物理的・精神的価値を尊び、生き方や倫理観の原

則あるいは指針とし、さらにはそこから創作の作法すら学んだ。彼女の信

念は、Edmund Burke流の保守主義に支えられているといわれる。

 だが、ボウエン一族は、大方のビッグハウス所有者同様、土地の買収や

拡大手段をめぐって訴訟もたびたび起こし、統治上の不始末も多かった。

また当主のなかには精神的な病を患った人もいた。飢饉の時には、領内の

住人に対しては好意的で、食料を提供するなど恩恵をもたらしたことで評

価されるが、一族の内部管理は、家父長的で男性が優位に立ち、女性が重

きをなすことはなかったようである。アイルランドのゲール文化を尊重す

ることもなく、その意味では、典型的なイギリスの植民地支配の方式に則

っている。ボウエンその人にも、アイルランドの固有の文化伝統への着目

や傾倒はほとんど見られない。アングロ・アイリッシュの地主階級は、時

の経過とともに時代への注意力を欠き、曖昧模糊とした、しだいに衰退へ

の道をたどる集団と化していく。1921年、彼らのビッグハウスのほとんど

は、民族独立主義者によって焼打ちされて消滅し、アングロ・アイリッシ

ュの植民地支配は歴史的終末を迎える。ボウエンズ・コートは焼き打ちを

まぬがれたが、経済的に維持することが困難になり、売却され解体された。

 ボウエンはビッグハウスの宿命を目撃した体験をもとに、長編小説『最

後の九月』(The Last September, 1929)を書いた。この作品は「私の心に

最も近い」とボウエンが打ち明けたように、ビッグハウスの所有者であっ

たボウエンにとっては、この上なく切実なテーマであった。ボウエンはア

イルランドの現代史に目を向け、1920年の独立戦争を背景に、ビッグハウ

スがIRAに焼打ちされる出来事を背景にしている。イギリスの植民地支配

が深部で関わる、政治的意味合いの濃い小説で、アイルランド産業へのイ

ギリス支配が非難される場面もある。作品のなかのビッグハウス、ダニエ

ルズタウンの所有者夫婦は、襲撃を受ける危機が迫っていることを確実に

予感しながらも真剣に受け止めず、テニスをしたり、パーティを開いたり、

漫然と毎日を過ごしている。そこに暮らす19歳の孤児の女主人公は、そう

したアングロ・アイリッシュの生活に退屈し、アイデンティティを失って

いる。彼女は追い詰められ、「(まゆ)のなかにいる」という、一種の閉所恐怖症

の心理にとらわれる。作者は、ビッグハウスの住人がそろって思考停止し、

自我喪失に陥っていることを批判している。ボウエンはほかの作品でも、

アングロ・アイリッシュの生活によって人格性に歪みが出たり、支障が目

立つ人物を多く造形している。ダニエルズタウンは最後に焼打ちされ、ア

ングロ・アイリッシュ支配の終焉を象徴的に示す。ボウエンのビッグハウ

ス、あるいはコロニアリズムのテーマは、「奥の居間」('The Back Drawing

Room')のような亡霊物語などでも、形を変えて取り上げられる。 

 現代文明の最先端に強い関心を寄せていたボウエンは、国際都市パリに

目を向け、長編『パリの家』(The House in Paris,1935)を執筆した。こ

の作品では、パリの一角にある「不気味な家」を中心に、登場人物たちは、

イングランド、イタリア、ドイツなど広範囲の場所に関わりをもち、コス

モポリタニズムの小説らしいテーマが展開される。愛、死、裏切り、虚偽、

冷酷、無垢、人間愛などが深層から分析される。人々の場所の移動には列

車や自動車などが利用され、スピード好きなボウエンの作品にふさわしい。

小説の語りにはモダニズムの特徴である時間の流れを操作し、直線型の時

間を一時停止させ、現在に過去を組み込む手法が用いられる。母親の過去

の不実な恋愛で、現在の運命を狂わせている主人公の男の子は、母親の現

在の夫に救われるが、彼はアイデンティティ喪失の危機に陥り、終結部の

駅場面では、「私はどこにいるの?」と悲痛な問いを発する。人間の実存的

悲劇をボウエンは凝視しているようだ。パリの家の所有者の支配的な老女

は「生のなかの死」を生きているが、奇怪この上ない存在で、この小説の

ゴシック性を異様に高めている。ゴシックはモダニズムの本質をなす要素

である。1930年代のパリは多民族の異邦人が群れる多言語都市の相貌を呈

していた。国と国の境界を越え、移動する人々の欲望や不安、危険などが

渦巻いていた。ボウエンはそうした越境のもたらす新奇な現象をモダニス

トの目で活写した。

 パリと並ぶ大都市ロンドンは、戦争時に空襲による破壊で様相を一変し、

荒地と化した。ロンドンに暮らし、戦争の残虐さを直接見聞したボウエン

は、戦争に現代文明の悪を認め、モダニストの視座から一群の「戦争小説」

(または「戦時小説」)を発表した。戦争は時代を転換させる。人々の価値

観や思考法、感情表現にも変容をもたらす。1800年代末に発したヨーロッ

パ文学上のモダニズムが、1910年代から1930年代にピークに達したのは、

第一次世界大戦(1914-18)と大いに関わる。大戦による破壊と荒廃が、それ

までの西洋文明の達成への否定感情を噴出させ、伝統意識が切断される結

果を生じさせた。一枚岩の現実把握が壊れ、多種多様な認識方法がありう

るとの考え方が一般的になった。ここに複数の、異種の表現に意義を認め

る、モダニズム文学の成立する根拠がある。ボウエンは旧来のリアリズム

手法に立脚しながら、モダニズムの手法をも採用する、いわば2つのモー

ドの使い手となった。

 ボウエンの代表作と目される『日ざかり』(The Heat of the Day,1949)

は、大都市の爆撃による崩壊ぶりを描写し、ロンドンの「死の風景」を見

事にとらえている。ロンドン市民の自我の崩壊と喪失は「荒地」の光景そ

のもので、ボウエンは、魂を失った「空虚」の世界を、単なるリアリズム

でなく、心理の最深部をとらえるモダニズムの手法を用いて映し出す。こ

の作品の主人公は、敵国ドイツのスパイの嫌疑をかけられ不可解な死を遂

げる、極端に人生を逸脱した人物に仕立てられる。主人公の愛人である女

主人公は、アイデンティティが定まりないところがある。ともに戦争の犠

牲者であろう。ボウエンは人物造型に、矛盾や不合理、ときには滑稽さを

込めて、すぐれた現代小説を世に送った。ボウエンの現代性は、これから

詳細に分析され、評価されるに値する十分な深みをもっている。

 

 参考書誌

Hermione Lee, Elizabeth Bowen: an Estimation  (Out of stock)

Maud Ellmann, Elizabeth Bowen: The Shadow Across the Page

      Edinburgh UP, 2003  (9780748617036)  £33.00 

Neil Corcoran, Elizabeth Bowen: Enforced Return

      Oxford, 2004/2008  (9780199532131)  pap £28.00 

Nels Pearson, Irish Cosmopolitanism: Location and Dislocation

    in James Joyce, Elizabeth Bowen, and Samuel Beckett

   UP of Florida, 2017  (9780813054636)  pap $19.95 

Olena Lytovka, The Uncanny House in Elizabeth Bowen’s Fiction

    Peter Lang, 2016  (9783631670255)  $38.95

Susan Osborn, ed., Elizabeth Bowen: New Critical Perspectives    

    Cork UP, 2009  (9781859184356)  $62.00