ポストモダニズムの見取図

 

Brian McHale, The Cambridge Introduction

to Postmodernism (Cambridge U.P.,  2015)

 

 Yeats Eliot などの華やかなモダニズムに目を奪われてい

るうちに、1960年代にポストモダニズムが現れ、20世紀後半

1973~89)の文化を支配していたのが、2001年には終わりを

迎える――というようなポストモダニズムの見取図が、グロー

ルな視点で描かれる本書は、(書名に入っている)Introduction 

という言葉以上に読者に刺激を与えるであろう。

 モダニズムに見られた存在論的な意識が、ポストモダニズム

に受け継がれ、認識論的な様相を帯びる、という中心的な軸が

考えられているが、「ポストモダニズムの始まりを特定するの

は難しい」という現状を抑えながらも、1966年をポストモダ

ニズムの「始まりの終わり」と断言するあたりに著者の「恰好

よさ」がある。当時の小説は「意識の流れ」、詩や絵画はアバ

ンギャルド的構成、音楽は若者向きのロック、映画は専らヨー

ロッパのもの、建築は都市での問題、というように国境を越え

た欧米の多様な文化的背景が語られるが、ポストモダニズムは

何といっても、その多様性が大きな特徴であると説かれる。そ

のことが「大衆文化を利用しつつ自らを高めた」ポストモダニ

ズム文化を生んだのである。著者はその広範囲の現象を検証し

て「繰返し」(recurrence)と「自己への言及」(self-reference)

とが中心的方法であった、と論じる。その具体的な例として、

この時代にStoppardが書き直した『ハムレット』を挙げてい

るが、要するにポストモダニズムとは「古いものの書き直し」

であって、「古いもの」なしには成り立たないのである。

ポストモダニズムの始まりを論じた第2章の後ろに、不思議

の国のアリスがポストモダニズム的にどのように書き換えられ

たか、という10頁ほどの独立した小論が置かれており、以下

ポストモダニズムの絶頂時(1973~1990)を論じた第3章の後

ろには『テンペスト』論を、下降期(1989~2001)を論じた第

4章の後ろには天使のイメージ論が置かれている。そして最終

の第5章の小論は「廃墟」についてである。議論に弱い読者は、

これらの各章の小論だけを拾い読みしたとしても、著者の考え

60%くらいは理解出来るであろう。因みに第3章の後ろに置

かれた『テンペスト』論は、「プロスペロの本」と題するもの

で、プロスペロが本来、劇中劇のプロデューサーであり、デイ

レクターであることに注目し、ポストモダニズムに見られる世

界の複数性を解説するものである。『テンペスト』は現代のSF

の基礎であり、ポストモダニズムの基礎である、ということに

もなる。シェイクスピアの多くの作品は幾度も書き直されたが、

彼は20世紀の文化的現象を予期していたのだ、という著者の

見方がポストモダニズムの強調のようで面白いが、時を重ねて

から振り返ると、ものの見方は変わるものなのだ。

 ポストモダニズムの終焉を説く第4章につけられた小論は「ア

メリカにおける天使たち」と題され、この時期の諸作品が天使

たちをどのように扱ったか、を辿り、天使たちはmarker と言

えるのではないか、と考察している。天使とは異邦人であり、

複数的存在であり、ポストモダン的存在なのだとすることで、

この時期の希薄さが浮び上がる。この第4章のタイトルが`

Interregnum’ であることも注意すべきなのであろう。本来は

君主が不在の空白期間を意味する語であり、ポストモダニズム

以降を主題にした第5章との絡みもあるのであろう。

その第5章に付けられた「廃墟」(Ruin)と題された小論では、

アメリカに廃墟などが存在するか、ポストモダニズムに終わり

があるのか、或いは既にあったのか、などの難問が並び、1972

年のマンハッタンの世界貿易センターの出来事、そしてチェル

ノブイリ(1986)と,日本の福島(2011)の原子力発電所の事故

などの現実の出来事が引き合いに出される。そこで、我々は既

に「疑似的な廃墟」を経験しているではないか、ということに

なる。「我々ポストモダン人はチェルノブイリや福島のような

破滅的イメージを貯めこんで、そのリハーサルを想像し、作品

化し、文明の終わりのシナリオを作っているところだ」という

著者の言葉に希望が読み取れるであろうか?

 考えようによっては、この本論と小論を組み合わせた各章の

趣向は、ポストモダニズムの「二重の法則」(double-coding)

或いは世界の複数性を表してもいる訳で、著者の「ポストモダ

ン」的遊びとも受け取れる。それほど著者はこの世界に入り込

んでいるのである。本著で著者が引用している評論、文学作品、

絵画、建築作品などの数は、有名なものから無名なものまで、

膨大なものである。巻末に参考文献として並べられた本は、ざ

っと360冊。その中で最も新しいものは2014年の出版である。

本著は2015年に出版されたが、新しい時代の新しい分野に(扱

い方にも趣向を凝らして)切り込んだ彼の意気込みと努力には

頭が下がる。

 もしポストモダニズムの多数の作品の中から代表的な一冊だ

けを読むとしたら、それはPynchon の『重力の虹』(Gravity’s

Rainbow) (1973) であろう。ここに後期資本主義の基礎的理論が

読み取れる、ということもあるが、ポストモダン的に様々なも

のが見事に混じりあっているからでる。形式としては、ドキュ

メンタリー、ファンタジー、メロドラマ。存在論的レベルで言

えば、夢、幻覚、空想の世界。現実と非現実の間。そして多様

な文体・・・(その文体は、サイバーパンクに受け継がれた。

サイバーパンクはSFから生まれ、ポストモダニズム詩学と一

つになった。)そして、『重力の虹』が出版された1973年は、

著者によればポストモダニズムの分水嶺の年なのである。また、

ポストモダニズムという名称がつけられた年でもあった。

 改めて振り返ると、ポストモダニズムの始まりの年とされた

1966年は、構造主義とポストモダニズムが同時に北米に入った

年でもあったが、この年以降に見られたポストモダニズム的現

象は、崩壊、自己反省、避難、意味の書き直し、などなどであ

る。ポストモダニズムという名称が生まれた1977年頃、当時の

経済の新自由主義と結びついている。

ポストモダニズムとしての自身の理論を獲得したのは1984

頃であり、時代とともに複雑さを増して行く世界の在り方が解説

されている。大陸、特にフランスの思想家たちからの影響、ド

イツの表現主義との繋がりのみならず、日本(村上春樹への言

及がある)や中国にもポストモダニズムが拡がった、と言うあ

たりに、もう少し力をいれて欲しかった、と思わないでもない

が、一般論として、本書以後の文学研究、或いは文化論は、全

世界的な目配りが必要になることであろう。

 90年代はオンライン文化と言われるが、テレビやインターネ

ットの普及もポストモダニズムに絡んでいて、文化の多様性は

ますます増した。しかしポストモダニズムが広がるにつれて本

来持っていた批評意識が失われたことを著者は見逃さない。こ

の時代のフィクションは、hypertextと呼ばれる「テキストを

超えたテキスト」を目指し、読者の中に「重量のない」感覚を

生もうとした、と著者は述べている。そのような90年代にポス

トモダニズムは終わってしまったのか?いや、1991年の湾岸戦

争は充分にポストモダンではないか、という意見もある。それ

ならば、ポストモダニズムが終わるとはどういうことなのか。

終わることがあり得るのか、終わるとしたら、次はどうなるの

か。そういう問題を著者は最後に突き付けている。90 年代の

作家たちは、第2世代として扱われることがあるが、第1世代

は終わった、と言う意味でもあろう。Barthによると、ポスト

モダニズムは200091日に終わった、のだそうである。が、

著者にはそのような断言は出来ない。

 90年代は背後にバブル経済があったことも考慮にいれられて

いるが、もはや下り坂となったこの10年は、free fall の時期だ

とも考えられる。勝手に堕落することが無重力であってほしい、

という願いもあるのであろう。「ポストモダニズム」という言

葉の前に、neo-とか、 meta-とか、pseudo-semi- などをつけ

れば、言葉の上では新しい主義が作れるが、未だそういう有力

な意見は現れていない。著者はサイバーパンクが80年代のSF

に始まり、90年代に主流になった、という動きの方向性は見て

いる。テクノロジー的発展は、サイバーバンクをも現実のもの

にしてしまう、というのであれば、21世紀には、ユートピアを

追うと、それが現実になり得るだろう、などと楽天的なことを

言えるのかどうか。

 この本にはインターネットなどとの関わりについての記述が

意外に少ないが、この本の執筆自体にもインターネットがあま

り利用されていないような印象を受ける。しかし1952年生まれ

の著者は、ポストモダニズムの波を身近かに感じつつ時を重ね

て来たのであろうから、10年後に「紹介、入門」ではない、本

格的なポストモダニズム論を再び執筆して頂きたいものである。 

                         (土屋 繁子)

 

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(表紙から)

帝塚山派文学学会 紀要 創刊号 376

編集・帝塚山派文学学会 運営委員

発行・帝塚山学院

平成29331日発行 (非売品)