神学的モダニズム

 

Anthony Domestico, Poetry and Theology in the

Modernist Period  (Johns Hopkins U.P., 2017)

 

 T.S.Eliot Auden などの詩人を生んだ、或いは彼等に

よってもたらされた英米のモダニズムの時代を、嘗ての批評

家たちは、専ら世俗的な時期と捉えていた。が、この20

ほどの間にモダニズムの文学作品に神学との関わりを見る傾

向が生まれ、その流れに沿って本書が書かれている。

 1984年生まれの著者は、NY州立大学の准教授であり、本

書ではエリオットとオーデンの他にDavid Jonesを取り上げ

て彼らの神学との関わりを考察している。・・・と書くと、

「ジョーンズって誰?」と首を傾げる人が多いことであろう。

従来の英文学史には名前が載っていなかった詩人・画家であ

るのだから。1891年にケントで生まれた彼は、第一次大戦に

従軍、その後カトリックに回心しており、その代表作の難解

な長詩The Anathemata(「神に捧げたもの」の意)はエリ

オットとオーデンに称賛されている。そこに両詩人との繋が

りを見ているのであろうが、著者が両詩人と並べてジョーン

ズを論ずるのはいささか勇み足のようにも思われる。ジョー

ンズの評価を高めようという意図もあるのかもしれないが、

読者にとって、詩人の評価と文学史との関係を考えるいい機

会になりそうである。

 また本書が「神学」という語を使っていることも注意点で

ある。従来ならば、ReligionChristianityCatholicism

Protestantismなどの言葉が専ら用いられていたからである。

著者によると、「神学」とは、社会学的、美学的理解を基に

宗教に近づく明晰な方法であり、本書の目的は、神学が現代

詩にとって(個人としてではなく全体として)本質的に想像

的、知的源泉であったのだ、と知らしめることである。そし

て彼は対象となるこの時期のモダニズムを「神学的モダニズ

ム」と呼んだ。

 モダニズムの時代は19世紀から知的混乱を受け継いだとは

いえ、19世紀に神学と関わった先達がいなかった訳ではない。

著者の見るところ、宗教の場に文化を築いたArnold の哲学、

そして宗教的教義よりも宗教的経験を重んじたCarlyleの哲

学があった。20世紀になって、両大戦間に、19世紀とは異な

った絶対的超越の神学が生まれたのも、突然変異という訳で

はない。

 本書には詩人たちとの絡みで多くの神学者が登場するが、

特に光が当てられるのは、カトリックの神学者であり、Neo-

Thomism(トマス・アキナス学派の新派=カトリック)の理

論的代表であるフランスのJacques Maritain1882~1973)、

スイスのプロテスタントの神学者Karl Barth (1886~1968)

そしてアメリカの代表的プロテスタントの神学者Reinhold

 Niebuhr (1892~1971)の三人であり、両大戦間の神学が英

米だけではなく、広くヨーロッパを基盤にしていることが判

る。それぞれの特徴を簡単に述べるならば、マリタンは「聖

餐」、バルトは「弁証法神学」或いは「神の超越」、ニーバー

は「神の都と人間の都の結びつき」というところであろうか。

三人の詩人との結びつきを大雑把にいえば、エリオットとバ

ルト、オーデンとニーバー、ジョーンズとマリタン、という

ことになろう。

 モダニズムの時代に宗教への興味と美学への興味とが重なっ

たという現象は、詩だけにとどまらない、という証拠に挙げ

られるのは、Joyce の小説A Portrait of the Artist as a

 Young Manである。そしてこの時代の風潮に大きく貢献し

たのは、エリオットが関わったイギリスの文芸季刊雑誌 The

Criterion1922~39)である。新しい文学的感覚が売り物の

この雑誌は、現代のキリスト教の神学が議論される場でもあ

った。ネオトミズムに肩入れし、カトリックの文人たちのエ

ッセイを載せた。この時代の神学の様相を反映していたとい

うことは、つまりトマス・アキナスが根底にあったというこ

とであり、更に著者に言わせれば、アキナス主義を受け入れ

ることは、「知識の形而上学的理論」を受け入れることであ

った。「判断基準」を意味する誌名を持つこの雑誌は、超越

主義から実存主義までの多様な論文を載せた。寄稿者は哲学

的アキナス主義と文化的アキナス主義とに分かれるが、更に

中世のコンテキストを考慮に入れて神学的、政治的、哲学的

体系を見るべき、という第三の考え方が登場する。

 興味深いのは、エリオットの神学的と見做される後期の詩

Four Quartetsにバルトの影響がある、という説に、著者が

異を唱えていることである。著者の解釈では、この詩の中心

的主題はキリストの顕現であり、バルト以外の神学的コンテ

キストに関わっているという。とはいえ、エリオットの詩的

ヴィジョンとバルトの神学的ヴィジョンの近似性は否めない。

 ジョーンズにとって、詩人の仕事とは、この世のものが如

何に神の恩寵を蒙っているか、を示すことであった。言葉自

体を聖なるものにしたい、という思いもあった。詩を書くこ

とは宗教活動なのである。著者はそれを「捻じれ(Torsion

の詩学」と名付けているが、1937年に書かれたジョーンズの

叙事詩In Parenthesisは終わりが初めに繋がるスパイラル構

造を持つ。物語はイギリスとウエールズの戦争に始まるのだ

が、その軍事的命令と聖餐とには類似性がある、とされる。

最上の詩においては描写よりも表象がものをいうのであって、

突きつめると、イマジストとはカトリックなのである。

 最後に論じられるオーデンは、のちにKierkegaardを精神

的な師と仰いで、神学と哲学を「形の問題」と見ることを学ん

だ。彼はキリスト教を「枠組み」として考えた。その彼の後期

の詩は、現在の絶望と未来への希望との間のmeantime(合間)

の詩なのだ、と著者は述べている。オーデンの40年代の詩に

は神学的考えが入っているが、特に1949年の‘Memorial for

the City’では、人間の都と神の都を隔てる溝を埋めようとす

る試みが謳われる。全ては顕現の結果なのであるが。

 著者がオーデンの特徴として挙げるものにアイロニーがあ

る。アイロニーこそ人間の経験についてのキリスト教的ヴィ

ジョンに他ならない。キリストの物語もアイロニーそのもの

である、と言う。また、オーデンにとっては我々の存在はコ

メディであり、笑いは信仰と愛への序曲なのである。

「信仰の詩学」(Poetics of Belief)と名付けられた結論の章

で、纏めとして著者が述べるのは、モダニズムの時代にも教

養あるエリートたちの間には信仰が続いていた、ということ

であり、そして「内容を伴わない宗教は宗教ではなく、人間

が存在への不安を和らげるために作り出した、心理的、社会

的な緩和剤だ」というマリタンの言葉を紹介している。三人

の詩人たちの神学の役割についての意見は必ずしも一致しな

かったが、50年代以降も神学的詩を書き続けた。『ザ・クラ

イテリオン』の廃刊が転回点となったが、宗教は現代でも重

要であり続けている。「短い、驚異的な時に、キリスト教神

学は詩的な探究を刺激し、支えたのだ」というのが、余韻を

残した結びの言葉である。この先、神学と文学との関わりは

どうなるのか、三人の詩人たちの評価はどうなるのか・・・

いろいろ考えさせられる。さほど実証的な論文ではないこと

が更なる興味を掻き立てる、ということもあるだろうが、も

し著者がクリスチャンでなかったら、違うアプローチもある

に違いない。                 

(土屋 繁子)