ホイットマン——アメリカへの信頼と疑念

 

 

 ウォルト・ホイットマン(Walt Whitman, 1819-92) の生きた19世紀アメリカは、領土拡張、奴隷解放、南北戦争(1861-65)、リンカーン暗殺(1865)、西部開拓(1865-90)などで揺れに揺れた、激動と移行の時代であった。ホイットマンはアメリカの現実を直視し、アメリカという国へ信頼を寄せたが、一方で腐敗や堕落の様相を見せるアメリカ社会へ疑念を抱いた。ホイットマンの詩集『草の葉』(Leaves of Grass) は、1855年の初版以来幾度か版を改めたが、それは、詩人自身の内心の表現であると同時に、アメリカの歴史的成長・発展の記録でもある。ホイットマンとアメリカの関係に見られるほど、詩人の使命と国家の運命が深く関わった例はめずらしい。

21世紀のアメリカが、激烈な世界史の動きのなかで、不安と懸念を少なからず掻き立てている。ここで、ホイットマンとアメリカとの関わりにあらためて目を向け、彼のアメリカへ寄せたただならぬ思念(ないしは心情)の変容を振り返ってみるのも、意義あることかもしれない。

 ホイットマンの詩はアメリカの情熱と脈動を歌った、いわば「アメリカの歌声」であり、その歌声は、彼に続く作家や詩人たち、例えばヘンリー・ミラー(Henry Miller,1891-1980) やジョン・ドス・パソス(John Dos Passos, 1896-1970)、トマス・ウルフ(Thomas Wolfe, 1900-38)、さらに若い世代のJ. D. サリンジャー(J.D. Salinger, 1919-2010)、ジャック・ケルアック(Jack Kerouac, 1922-69)、アレン・ギンズバーグ(Allen Ginsberg, 1926-97) らへも作用を及ぼした。ヘンリー・ミラーは『北回帰線』(Tropic of Cancer, 1934) の一節で「いつもぼくたちの議論のなかに、ホイットマンという人物がいやおうなしに入り込んできた」と書いている。

 ホイットマンの「実体」を求める研究は深化し、伝記に限ってもG. W. アレン(Gay Wilson Allen) の画期的なホイットマン評伝『孤高の歌手』(The Solitary Singer, 1955; revised 1985) をはじめ、これまでおよそ15種の伝記が刊行されている。最近では、デイヴィッド S. レイノルズ(David S. Reynolds) の『ウォルト・ホイットマンのアメリカ文化的伝記』(Walt Whitman’s America: A Cultural Biography, New York: Knopf, 1986) やジェローム・ラヴィング(Jerome Loving) の『ウォルト・ホイットマン彼自身の歌』(Walt Whitman: The Song of Himself,  Berkeley: University of California Press, 1999) が貴重な研究成果として挙げなければならない。レイノルズの著はホイットマンの生涯を、詩人として自己形成するのに影響をあたえた文化的、政治的、社会的要因を仔細に探っていて注目される。

 「実体」が明らかになるにつれ、アメリカの現実を肯定する楽天的詩人として一般に受け止められていたホイットマンは、実は、アメリカに失望し、疑念すら抱く苦悩する詩人であったことが立証された。たしかにホイットマンを一枚岩の人物ととらえるのは今や適切ではない。彼の思想と行動は矛盾に満ち、複層的で謎めいてさえいた。ホイットマンはアメリカの可能性を信じつつも、アメリカにおける理想と現実の乖離を見逃さず、アメリカの未来のためにたえず警鐘を鳴らしていたのである。『草の葉』やそのほかの著作には、そうしたホイットマンのアメリカへの信頼と賛美にとどまらず、それと裏腹の、失望や挫折、苛立ちの感情もが率直に表現されている。

 1855年、『草の葉』初版を出版し、詩人誕生を告げたとき、ホイットマンはすでに36歳であった。詩人としてはかなり遅い出発といえる。56年に第2版、60年に第3版を刊行、92年の「臨終版」(389編収載)まで、ホイットマンは改版を重ね新作を補充した。それぞれの版に、変転する時代の動きや風潮、詩人の意識や思想の変化が反映されている。研究者フランシスR. ジェムによれば、『草の葉』はホイットマンの「体験と詩的想像」の産物であるが、体験から生まれたに違いない現実的イメージが彼の詩を覆っていることはすぐさま察知できる。

 ホイットマンは驚くほど多種多様な職業を体験した。11歳で小学校を退いて弁護士事務所のオフィス・ボーイになったのを皮切りに、新聞記者、印刷工、学校教師、公務員として働き、南北戦争では志願看護師として従事している。各地を旅行し、講演者にもなった。とはいえ、彼を現実社会の鋭敏な観察者に仕立てた最大の基盤は、目まぐるしいまで活発なジャーナリスト体験であったろう。彼は根っからのジャーナリストであった。13歳のとき、『ロング・アイランド・スター』紙の植字工になり、その後マンハッタンで同種の仕事をしたが、こうした印刷の仕事の技巧が、『草の葉』以降生涯にわたって、ホイットマンの印刷術、あるいは本づくりの方法に浸み込んだとD.S.レイノルズは指摘する。1838年、ホイットマンは週刊紙『ロング・アイランダー』を創刊し、編集・植字・印刷・配達まで一人で業務をこなすが、10か月後売却し、マンハッタンの新聞や『ロング・アイランド・デモクラット』紙の植字工として働いた。1841年から1845年まで、ホイットマンはマンハッタンでさまざまな新聞でジャーナリストして活躍するかたわら、詩や小説を書いた。

ジャーナリズム体験で最も重要なのは、1846年から1848年まで主筆を務めた『ブルックリン・デイリー・イーグル』紙時代であろう。彼はこの民主党支持の新聞にブルックリンやマンハッタンの政治的状況だけでなく、演劇、文学、宗教、教育など文化的状況についても多数の評論を掲載した。しかし、奴隷制反対の姿勢が保守的な経営者に疎まれ、48年にホイットマンは解雇されてしまう。ところが、解雇されて間もなく、『ニュー・オーリンズ・デイリー・クレセント』紙に採用され、ニュー・オーリンズへ赴任することになる。そこでの生活は女性も絡んで異国趣味的満足を与えたようだが、彼はホームシックに耐えられず、ブルックリンへ戻り、奴隷制度反対運動を推進するため『デイリー・フリーマン』紙を創刊する。1838年からおよそ10年間、政治ジャーナリストとして送った生活が、後の『草の葉』の詩人ホイットマンをつくる重要な核の一つになったのはたしかである。ホイットマンの崇敬したエマソン(Ralph Waldo Emerson, 1803-82) が『草の葉』を「『バガヴァッド・ギーター』と『ニューヨーク・ヘラルド』紙の結合物」と呼んだのは、ホイットマンの超越思考とジャーナリスト的現実意識の融合をとらえていて興味深い。

では、ホイットマンの見たアメリカの現実とはどのようなものだったのだろうか。彼の生きた時代は、アメリカの成長と変化が最もめざましい、それゆえに国民にとって最も希望に満ちた時代であった。北部の工業発展に伴う活況、西部への大移住、都市の建設、鉄道の敷設や電信の発達など、どれをとってもアメリカの発展につながらないものはなかった。誰しもが、アメリカはヨーロッパには見られない文明国家として発展を遂げつつあり、民主主義に基づく、独自の自由と平和の世界を構築しているものと信じたに違いない。『草の葉』の序文で「合衆国そのものが、本質的に最大の詩篇なのだ」と書いたように、ホイットマンにとってアメリカの国土発展のリズムは詩の響きをもっていたのであろう。

 だが、この頃のホイットマンの言説には矛盾がある。彼は、理想的な民主主義を説いたかと思うと、領土拡張問題では民主党の主張を丸呑みし、拡張を支持する姿勢をとった。それは、デモクラシーの原理とは逆の、侵略的、支配的姿勢というものであろう。ホイットマンは「明白な天命」(Manifest Destiny)の思想に追随した。「明白な天命」は、合衆国のデモクラシーは神意に沿うとする考えで、民主党のジェイムズ..ポーク大統領はこの思想を領土拡張政策に利用し、強引にテキサスを併合したため、米墨戦争〔アメリカ・メキシコ戦争〕(Mexican-American War, 1846-48) を引き起こしたのであった。ところが、ホイットマンはこうした強引な政策に異を唱えることなく、むしろ拡張論異に乗じて、『イーグル』紙の編集者として、拡張の正当性を主張し、ポークの政策を支持した。ボストンの偉大な雄弁家で、急進派の牧師、セオドア・パーカーが、「侵略戦争は罪悪であり、……国民に対する反逆である」と主張したのに対し、『イーグル』紙の編集者は戦争を支持したばかりか、アメリカ政府が征服した領土に与えた恩恵に、限りない感謝を捧げたのである。

 しかし、米墨戦争の後、奴隷制度をめぐって国論が2分され、民主党も2つに割れるようになると、ホイットマンは自らの矛盾に気づき、それまでの言動を反省する。奴隷制度について廃止論者を非難していた彼ではあったが、合衆国憲法に合わせて考えた結果、奴隷制を認めない考えに変わった。これまでの現実主義から理想主義へ舵を切って、奴隷制拡張を認める民主党に敢然と挑戦したために、1848年、『イーグル』紙から追い出されてしまう。ホイットマンの民主党に対する信頼と忠誠が一挙に幻滅と怒りに変わり、ホイットマンの新しい道の模索が始まる。この時期にホイットマンはエマソンの著作を熱心に読んだようだ。後年「私はぐずぐず煮えていた。エマソンがそれを沸騰にまで至らせてくれた」と述懐しているが、詩人としての立志が固まったことを表す言葉であろうか。

 満を持して発行された『草の葉』初版は、詩人がアメリカを結束させ、アメリカ発展のために国民の精神を鼓舞しようとする、力強い宣言の書であった。ホイットマンは、冒頭を飾る「ぼく自身の歌」(‘Song of Myself’) のなかで、ペルソナとしての絶対的な「ぼく」(‘I’)を設定し、民主主義を念願する高らかな声を響かせる。

 

  One’s self I sing, a simple separate person,

    Yet utter the word Democratic, the word En-Masse.

   (自分自身をぼくは歌う、素朴でひとり立ちした人間を、

  だが「民衆とともに」、「大衆のなかで」という言葉も口に  出す。)

 

 詩人は個として自立した自己を意識しながら、同時に大衆が一体化した形での民主的国家をも歌おうとしている。「自己」=「他者」の等式関係で結合し、それが国家と共通性をもって合一する社会の実現を構想しているのであろう。さらに詩人は、続けて女性と男性を対等に歌い、情熱(passion)と脈動(pulse)と活力(power) に満ちた計り知れない人生を、現代の人間(Modern Man) を歌うことを明言する。「ぼくに属する原子の一つひとつが君にそっくり属しているからだ」という科学的表現は、当時としては新鮮で、現代的であり、訴求力があった違いない。ホイットマンの何ものをも包含し、結束させようとする意志はただものではない。「単元論者」なのか「二元論者」なのかわからなくなるほどである。彼は物質と霊魂、男性と女性、善と悪、生と死、戦争と平和、個人と社会といった、あらゆる対立するものを、まったく無差別に、何の序列もなく、いとも簡単に結合させてしまう。ホイットマンは、アメリカのすべてを抱え込み、それらを結合させることを詩人の使命と考えていたのであろう。それはスコットランドの国民詩人ロバート・バーンズ(Robert Burns,1775-96) にも類似する詩人の姿勢である。ホイットマンの場合、彼はアメリカ国民を豊かな詩心をもった民族と見なし、自らの詩を通して、アメリカ国民にひろい心をもった、民主主義者になることを期待した。彼は本来的な「詩人」(bard)の機能と役割を意識した、アメリカの「詩人」であったといえる。

 ホイットマンの期待をよそに『草の葉』は理解も評価もされなかったが、それでも彼は、アメリカの発展とともに自己拡張を続けた。こうした全体的統一ないしは合一を求める意志は、アメリカ・ルネッサンスの時期の際立った特徴で、ホイットマンに限らず、エマソンにも共通することである。ただ、エマソンが「大霊」(Over-Soul) という一個の普遍者をおいて現実に統一を与えようとしたのに対し、ホイットマンは、個々の事物そのものに存在の意味を認め、それを賛美するところに違いがある。エマソンが「普遍的」であったとすれば、ホイットマンは「個別的」であった。ホイットマンの詩が羅列的な、いわゆる「カタログ手法」を用いるのは、ここに由来するかもしれない。アメリカが西部への拡張に力を入れ、大躍進を遂げた時期に、ホイットマンはしきりに旗振り役を務めるかのように、移動する人びとに熱っぽい口調で注意を与えた。「開拓者よ!おお、開拓者よ!」(‘Pioneers! O Pioneers!’) の冒頭の連では、「さあ、日焼けしたぼくの子どもたちよ、/隊列をなして後に続け、武器の準備は終えたか、/ピストルはたずさえたか、切っ先鋭い斧は持っているか、/開拓者よ! おお開拓者よ!」と呼びかける。

 しかし、「西へ行く運動」はアメリカの暗部をも生み出した。多くの開拓者が太平洋岸まで移動し、瞬く間に広大なアメリカは自由の地を求めて西へ移住した人々で埋まってしまった。やがて移住に伴う混乱と失敗の現象が見られるようになる。都市化が進み、物質主義がはびこり、悪徳や犯罪が目立った。ホイットマンはそうした状況を見逃さなかった。ホイットマンは巨大都市ニューヨークに住み、例のジャーナリストの目で都市の現実を観察していた。詩人として他の都市にもニューヨーク的悪の相貌が見られるとすれば、当然詩人として放っておくことはできない。都会と文明にひそむ悪。ホイットマンはそれを文学的に表現せずにはいられなかった。

 ホイットマンは南北戦争時に志願看護師として働き、戦争の惨禍を直接に体験した。この時期の彼は、戦争がアメリカを統一するのに役立つと信じ、戦争に同調する。しかし、彼は政治的な保守主義に走った後、アメリカの崩壊の徴候を意識し、1871年に発行した『民主主義の展望』(Democratic Vistas) では、南北戦争後のアメリカの腐敗堕落した状況、物質的繁栄に酔い、精神の尊さを忘れている状況を告発した。そこに彼の深い疑念とともに、なおもアメリカ国民の発展に寄せる信頼感を感じ取ることができる。民主主義に対する反省と、それを理想状況に進化させることへの、血を吐くような思いが吐露されている。

 ホイットマンは『草の葉』の改版を重ねたが、途中で保守的、微温的になったとはいえ、最終的には、1855年版の力のこもった初版の世界へ回帰し、最後まで先進的、現代的詩人としての姿勢と地位を守った。

(木村正俊)