批評史再考

Michael Gavin, The Invention of English Criticism,

 1650- 1760 (Cambridge U.P., 2015)

 

 タイトルに invention とあるのは、批評が自然現象的に生

まれたのではなく、人間たちが創り出したものだ、という著者

の認識の反映であろう。1650年から1760年まで、と区切られ

た百年余は、ルネッサンスの花が開いたエリザベス朝も終わり、

ピューリタン革命によるチャールズI世の処刑(1649)に続く

年月であり、背後に政治と宗教の諸問題があるが、著者の関心

は専ら文化と文学にある。軸となっているのは、口頭での伝達

が手書きの原稿となり、印刷という方法で本となる、という文

学作品の広まり方であり、それに伴う書き手と読み手の相互関

係に基いた批評の歴史である。

 著者は現代のデジタル・メディアの進歩とその影響を17-18

世紀の様相に重ねて考えたいと思っているようで、巻末の参考

文献を見てもその手の新しい研究書が何冊も挙げられているが、

結果としてはそこまで広げることなく本書を纏めている。そう

いう手堅さがある一方で、従来の批評史に対する著者の異議申

し立てが幾つか織り込まれているあたり、興味深い本である。

 詩やドラマについての受け取り側の感想が批評の母型である

が、それが書き留められて手紙や手書き原稿となり、印刷技術

の普及によってパンフレットや本の形となって読み手が増え、

やがて批評というジャンルが生まれ、文学のカテゴリーに入れ

られる、という筋立ては新しいものではないが、著者はそこに

二人の女性を加え、また本書の最後を飾る批評家として、大物

の批評家ではなく、ジョンソン傳を書いたJames Boswellを置

いているところが目新しい。

  Criticismという語の最初の用例は1677年だそうだが、有名

Philip SydneyDefence of Poetry (1595) に見るように、

既に1590年代には実質的に文学的主題の批評が出版されてい

た。ただ国内の政治情勢では文学と非文学、文学と政治の分離

は難しく、1642年に閉鎖された劇場が60年に再開されても、

ドラマや詩が政治的意味を帯びてしまうのは致し方がないこと

で、当時詩やドラマの出版を手掛けていたMosleyという本屋

も、王党派の追われた人々と結びついている。

 著者は17世紀中葉に批評の創造的発火点を見ているが、その

頃にはドラマが文学の一形態であると認識されていたことも批

評に影響を与えており、劇評が批評であるという感覚も育って

いた。中流階級が批評によって文化的アイデンティティを獲得

し始めるのもこの頃である。

 18世紀に入ると、批評はジャーナリズムと学問とに分化し、

批評自体が理論化されるようになる。Samuel JohnsonDic-

tionary (1755)は文学の正典化と批評の歴史性が合わさったも

の、と位置付けられている。多くの批評家にとって意見と知識

は別物であって、例えばJohn Drydenにとって、意見は概念的

道具であって、争いを収めるものであった。彼のOf Dramatic

 Poesie (1668)はイギリスの書物文化を大きく揺るがしたもの

である。

 第2章ではギリシャの霊山であり音楽や詩の象徴であるパル

ナソスの神話的空間に、17世紀イギリスの現実が準えられる。

パルナソスでのアポロなどによる会議、という体裁をとった

「会議詩」は、社会的背景を思わせる一方、イギリス文学の大

義名分を主張するものでもあった。Daniel Defoe Pacifica-

tion ( !700) は、パルナソスの丘でwit軍とsense軍が争う内乱

の物語であり、詩を書くことが味方をすることでもあった。

 コーヒー・ハウスが流行し始めると、批評の議論は人々の社

交の手段ともなり、それが印刷され、出版されるようになると、

社会的メディアとしての出版が意識されるようになる。その頃

イギリス最初のプロの批評家John Dennis が登場するが、彼は

Whig 党であった。政治と文学はまだ分離していないのである。

 第3章、第4章では、従来は英文学史の片隅にしか名前が載

っていなかった女性二人が登場する。嘗てはドラマの観客の一

部分でしかなかった女性が、書き手でもあった、として取り上

げられるのである。女流作家としては、以前からAhra Behn

が有名であり、最近ではKatherine Philips が注目されている

が、著者は批評家の卵として先ずSusannah Centlivre 挙げて

いる。もともと女優である彼女は、18編のドラマの他、批評、

フィクション、自伝を書いており、女性の欲望は解放的ではな

いという考えを持っていたとのことである。初期の小説が批評

の一形式であったとすれば、小説は批評から分離したものだ、

とも言えるのであろう。

 当時の定期刊行物がロンドンの文学を支えた、というのが従

来の定説だが、著者は、読み手の力を評価すべきだと考える。

批評家たちが孤立していた訳ではなく、読み手との相互作用が

生まれ、論争的となった、というのである。

 時とともに批評の中心はロンドンから地方へと分散して行く

が、地方ではまだ手書き原稿が読まれていた。その原稿文化の

なかにいたAnne Finch が第4章で紹介されるが、彼女はやが

て伯爵夫人としてロンドンに居を構え、ドライデンやPope

知り合う。彼女が自作の出版に踏み切ったのは、男性の敵意、

酷評に対抗するためであったという。著者が彼女を評価するの

は、詩と批評の間を慎重に近づけた点である。結果的には彼女

の批評は1860年以降ほとんど注目されなかったのだが、21

紀に入ってから、かなり注目されている。研究者たちは彼女の

王党派贔屓に興味を持つが、著者に言わせれば、彼女は文学的

政治の実践者として批評を書いたのであり、その詩集は1660-

1789年に出版された詩集のなかでは最も完成度が高い。彼女は

自身が批評の対象になることを避けていた、というが、彼女と

その作品については、まだ今後も検証が必要であろう。

 第5章は「批評の短命」が主題である。短命な定期刊行物と

密接に結びついて批評自体も短命と目されるようになったが、

論争は短命であっても批評は永続し、未来に繋がるものだ、と

主張される。18世紀初頭の書き手たちは、それまでの批評が遺

したものを自分たちの現在に組み入れようと工夫をこらしてい

た。そのなかでポープはThe Dunciad Variorum (1729)で作品を

貶めることと保存することという、相反する行為を見せている。

これによって、イギリスの批評は初めて近代フランス批評に呼

応する思想史となった、と著者は言う。ポープは「真実と価値

とは過去の批評的言説によって歪められて来た」と述べたが、

著者は、全く同感、と力説している。従来ポープのヴィジョン

は未来を欠いている、と言われて来たが、著者は、ポープは知

識を道具として過去の批評を用い、分析、批判、比較というプ

ロセスによって検証しているのだ、と反論している。

 最終第6章で本書の掉尾を飾る人物としてボズウエルが置か

れているのは、そのThe Life of Samuel Johnson (1791 )がジョ

ンソンの語った言葉を取り上げていることが、言語活動として

の批評の原点であると考えてのことである。また、ボズウエル

の編集が、会話と印刷との隔たりを利用している、と見てのこ

とでもある。つまり、著者は口誦の伝統と印刷文化との弁証法

的発展をそこに見たのであった。一方、論争の火花が散ってい

たボズウエルのLondon Journalがイギリス批評史の注目すべき

資料であり、新しい読者層のために読み易いコンテキストを提

供していたことも当然評価されるべきことであった。

 本書で著者が言いたいことは、批評の実践とは過去の再評価

を軸として行われるものであり、批評は決して終わることのな

い作業だ、ということである。そして読み手が書き手と対等に

なって行くことで批評が生まれた、という強い主張がある。20

世紀に一世を風靡した「新批評」も読み手側の権利の主張であ

る、というような指摘もさりげなくされているが、いずれ、そ

ういう読み手の歴史も本書の著者によって書かれるかもしれな

いし、読み手の台頭こそが民主主義の構図だ、というような、

政治との関わりも検証されるかもしれない。

 著者のそういう批評の芽をみつけるのが本書を読む楽しみの

一つであろう。読者の眼力が問われているのかもしれないが。

 

                     (土屋 繁子)