ウォルター・スコットの歴史小説

 

 2014年の918日に、スコットランドの独立をめぐる国民投票が行われ、スコットランドは連合王国にとどまることになったが、住民投票の実施を契機に、スコットランドとイングランドの関係、さらにはそれぞれの「国」の歴史や将来への見通しなどへの関心が高まっている。2つの「国」は古くから対立や抗争を繰り返したが、1707年の議会合同まではそれぞれ独立した王国として権威を保ち、そのことを誇りとしていた。しかし、1707年以降は均衡した関係は崩れ、総体的にはイングランドが上位に立つ支配関係が確立して現在に至っているといってよい。

2つの「国」の歴史は、当然歴史家や思想家、文学者らにとってこの上なく重要なテーマ性をもっており、なんらかの思考の結果あるいは認識の方向性を示すことが求められてきた。スコットランドを代表する文学者、サー・ウォルター・スコット(Sir Walter Scott, 1771-1832) は合同後のスコットランドのめざましく変化する政治・社会状況を直視し、スコットランドの歴史のとらえ方に深くこだわった。彼は、スコットランドの風土や地理、生活、習俗、事件、人間模様などに精通していたことを創作のバネに、膨大な歴史小説の作品群を書くことになる。歴史小説の始祖とも仰がれるスコットの歴史観やその小説理念とはどのようなものだったのだろうか。

 スコットは小説家になる前は詩人であった。1790年代から彼はドイツ語詩の翻訳やバラッドの収集に手を染め、1802-3年には有名な『スコットランド国境地方歌謡集』(The Minstrelsy of the Scottish Border ) を発行している。この歌謡集は国境地方に伝えられる、いわゆる「ボーダー・バラッド」をまとめたものであるが、スコットの地域社会の歴史や民俗文化への関心を示しており、新しい文化の勢い、さらにはロマン主義運動の高まりを告げるものであった。このバラッドの作品群を源泉とし、スコット独自の物語詩が生まれる。『最後の吟遊詩人の歌』(The Lay of the Last Minstrel, 1805) の後に『マーミオン』(Marmion, 1808)が続き、『湖上の美人』(The Lady of the Lake, 1810) に至るまで、この時期のスコットの詩人としての業績は大きく、その中世的、ゴシック的傾向はロマン主義文学に大きく貢献した。

 スコットによれば、天才バイロンの旋風のような出現が彼に進路を変えさせたことになっているが、実際はそうではなかっただろう。早くから民衆の文化に興味をもち、物語の熱心な収集家であったスコットは、自らのよく知るスコットランド人の生活や性格、風俗や出来事などを想像力に富んだ散文で表現したいと思っていた。具体的に目標とした小説家はアイルランドのマライア・エッジワース(Maria Edgeworth, 1767-1849)で、彼女が1800年に発行した、英語による最初の地域小説『ラックレント城』(Castle Rackrent ) に触発された事実がある。エッジワースから受けた影響についてスコットは『ウェイヴァリー』(Waverley, 1814) の序文[1829年版総合序文]に記している。エッジワースは、地主階級ラックレント家の4代の歴史を扱うことで、それまであまり知られていないアイルランド人の性格と風俗を紹介し、アイルランドのアイデンティティを保持したいがために『ラックレント城』を書いた。エッジワースが『ラックレント城』を執筆していた1798年から99年は、アイルランドでは大ブリテンとの連合の動きが急で、反帝国主義運動の急先鋒であるユナイテッド・アイリッシュメンの反乱が起こった時期(1798年)と重なる。イギリスはスコットランドとの合同を成し遂げたと同じような買収工作で連合を果たそうとしていた。スコットは、自国での体験によって2つの国が合同することの意味をよく知っていたので、アイルランドの状況に敏感に反応したに違いない。エッジワースがアイルランドのアイデンティティの保持を願望して小説を執筆したのに刺激を受け、スコットが、スコットランドの歴史に目を向け、スコットランド人の肖像と風俗を描こうとしたのは当然の成り行きであったと思われる。

 スコットの文学的評価がいまなお高いのは彼の歴史小説のおかげであると断言してもよいだろう。『ウェイヴァリー』以後の彼の小説は「ウェイヴァリー小説群」とよばれるが、

最上のものはスコットランドの歴史を題材にしたものが多い。例えば、『ロブ・ロイ』(Rob Roy, 1817)、『オールド・モータリティ』(The Tale of Old Mortality, 1816)、『ミドロジアンの心臓』(The Heart of Midlothian, 1818)、『レッドゴーントレット』(Redgauntlet, 1824) などはスコットランドの独自の歴史を題材にしている傑作である。しかし、ジャコバイトの反乱というイングランドとからまるスコットランド史の大事件を扱った『ウェイヴァリー』は大成功をおさめ、スコットの歴史小説家としての地位を高めた一方、『ウェイヴァリー』に続く『ガイ・マナリング』(Guy Mannering, 1815)は当時の月並みなロマンスに近い作品で、歴史性が薄いといったぐあいに、作品の評価に高低があるのは否めない。

 農民詩人ロバート・バーンズがエアシャー地方の風景と土地にリアリスティックな目を向けることによって詩作の糧を確保できたように、スコットもまた、関わりをもったスコットランド各地の地域的歴史や民俗文化を深く掘り下げることで、豊かな想像世界を築くことができた。スコットランドの風景や自然、地域の特性にスコット以上に執着した人を探すのはむずかしい。詩人ワーズワスの妹ドロシーは、1805年に手紙のなかで、「彼[スコット]の地域へ寄せる愛着は、私がそれまで出会ったどの人よりも強い」と書いている。批評家ジェイムズ・リードは「歴史小説の創始者であるスコットは、風景を絵画的のみならず文学的素材(medium)として見た最初のイギリス作家である」と指摘している。リードによれば、スコットがスコットランド、とりわけ彼自身が関わる土地であるボーダー地方を描くとき、彼は事実を「記録している」のであって、「創作している」のではなく、そのヴィジョンは、客観的世界、時間と感覚の場所から湧出するのだという。実際、スコット以前に風景や土地の地誌的な要素を彼ほど忠実に小説のなかへ取り込んだ作家はいなかった。トポスのもつリアルな力を有機的にとらえ得た作家は、スコットが最初であったかもしれない。

 スコットが歴史に関心をもった背景として、スコット一家の祖先の歴史を聞き知ったことや、国境地方の歴史、民俗、文化についての知識が深まったことが挙げられるが、さらに当時活躍したスコットランドの哲学者たちの歴史観が影響したことも重要視されなければならない。スコットの時代はスコットランド啓蒙の盛期以降にあたるが、知識人たちは歴史認識を深めることに競合的であった。スコットの歴史認識は18世紀末のスコットランドの哲学を専門とする歴史家たちの恩恵を受けているといわれる。エディンバラ大学で、アレグザンダー・フレイザー・タイトラー、デュガルド・ステュアート、デイヴィッド・ヒューム男爵(有名な大哲学者の甥)ら哲学的に歴史をとらえる学派の教授たちの講義を聞いたが、ことにヒュームによるスコットランド法の歴史の講義はスコットに大きな影響を与えた。判事のダンカン・フォービスによれば、実際、スコットは「ウェイヴァリー小説群のなかでスコットランドの哲学者たちが説いたことを実践した」のであった。

 啓蒙運動の中心地エディンバラでは知識人たちがアカデミックなテーマで議論し合う団体「クラブ」で活躍したが、スコットは自らが所属するクラブで歴史のとらえ方についてたびたび発表した。1791年には、クラブのひとつ「スペキュレイティヴ・ソサイエティ」の会合で「封建制度の起源について」と題して話したほかに、「オシアン詩の信頼性について」と「スカンディナヴィア神話の起源について」などの発表を行い、歴史への並々ならぬ知的関心を示している。スコットの歴史認識は啓蒙主義のそれと共通するもので、知的とはいってもロマン主義的な歴史認識と融合しており、過去を厳密に事実としてとらえる姿勢にのみ貫かれていたわけではない。彼の歴史小説もまた啓蒙主義のもつ曖昧さや矛盾をはらんでいた。スコットの歴史意識にみられるロマン主義的傾向は、スコット自身の夢想家の一面の表出であり、同時に小説市場 (読者) からの喜びを求めるニーズへの反応であったかもしれない。

 スコットランド啓蒙は、合理性や科学精神、進歩思想を標榜し、哲学や科学技術、芸術、文学などの領域で先端を切り開く運動であったが、その一方で、政治経済やイングランドとの関係などでは微妙に保守的であった。そこには、矛盾といえばいえる、複雑な二面性が認められる。スコットはなにより「啓蒙の子」であって、彼の歴史把握はいかにも啓蒙主義的であった。スコットの保守的姿勢は表向きにも明らかで、法律家であった彼はセルカークシャーの副治安判事(実質上は州知事兼裁判官)を務め、1790年代には、フランス革命に反対した。1810年代以降は中世的で豪壮な邸宅アボッツフォードで超絶した生活を送り、1822年、国王ジョージ4世がエディンバラを訪問したときは、国王歓迎行事の総指揮をとり、みごとに役目を果たした。スコットのそうしたイギリス寄りの姿勢は評価されたが、一方では批判にもさらされ、スコットの評判に陰りを生じさせることになった。

では、スコットの描く歴史小説どのような思考に支えられていたのだろうか。重要な問題点は、スコットランドとイングランドの合同と、それ以後の双方の「国」の関係、あるいは「イギリス」という新たな連合国のありようをいかにとらえるかの歴史解釈である。突き詰めて言えば、スコットは、歴史は進歩するもので、過去を引き戻すことはできないとの考えに立っていた。人間社会は段階を追って変化しており、次の段階へ進んだら、その段階を受容し、それに同調するしかないとの認識である。それは決定論的思考というものであろう。スコットからすれば、両国の合同は実現し、王朝はステュアートからハノーヴァーに代わり、ジャコバイトの反乱は終焉したのであり、ともかく歴史の歯車は一回転したのであった。スコットランドの歴史は、相対するイングランドの歴史と合一することで、新たな歴史歩み出したまさに弁証法的な思考によって、彼はスコットランドの歴史の方向を容認する。

スコットが合同を容認し、スコットランドが新たな歴史創造へ向かったと受け止める姿勢は、デイヴィッド・ヒュームのスコットランド史の解釈と共通する面がある。ヒュームは『イングランド史』6 (History of England, 1796) を発行したが、そのなかでヒュームは1707年の合同で、スコットランドの長年の課題が解決されたと述べる。有力者たちが跋扈する無秩序な割拠社会が、イングランドとの合同によって、早道を通って法や正義に従う政治社会に進化したというのである。ヒュームもスコットも、保守の立場から、スコットランドの過去の歴史の古き良き国制を認める歴史解釈をそろって否定する。

とはいえ、スコットは歴史の絶対的流れに同調しながらも、頑迷にその姿勢を守るのではなく、相対主義の視点も失わず、歴史を平準化する。つまり、歴史の流れのなかで敗者となった人びとに同情したり、温かい理解を示したりもする。敗者となった人といえども、当人の責任ではないとの考えである。ジャコバイトの反乱の例で言えば、戦いに敗れて悲惨な運命をたどった人々に対しては、スコットは大いに同情している。スコットランド啓蒙には感情を重視し、不運や不幸に同情をみせる傾向がある。啓蒙期を代表するアダム・スミスの著作やヘンリー・マッケンジーの小説には人間的な共感に価値をおく主張が顕著である。スコットの歴史認識にそうした啓蒙主義の価値観が流れていてもおかしくはない。しかしながら、スコットは感情面での理解者であったが、過去をあまりに感情的にとらえることは拒否した。彼は「理性の人」であり、同時に「感情の人」であったのである。

 スコットにとってあるべき歴史小説とは、歴史的事実をわきまえたリアリズムと、人間的感情を想像力豊かに表現したロマンスの要素を融合した、包容力あるヴィジョンの歴史小説であった。それは18世紀の堅実なリアリズムの小説手法に限界を見出し、ゴシック小説に開花したようなロマン主義的要素を多分に取り込んだ、いわば新しいジャンルの創出を目指すものである。啓蒙期は変化と移行の時代であり、事実の尊重と想像力への志向が共存していた。理性と感情がともに重視され、一見相反的で矛盾するような時代現象が進行していた。スコットはそうした時代の二面性をうまく小説執筆に活かそうとしたのである。

 しかし、スコットの歴史小説が総じてすぐれた作品であることはたしかだが、それらが真の意味でのリアルな歴史小説たり得ているかについては問題があるだろう。『ウェイヴァリー』はジャコバイトの反乱を扱っているが、主人公エドワード・ウェイヴァリーは名前どおり「揺れる」(‘waver’)人物として描かれる。イングランド軍士官でありながら、ハイランドの美や物語、ハイランド人のマナーに魅せられる。イングランド軍とハイランド人のあいだで2分された自我は落ち着かず、行動はロマンティックにならざるを得ない。ここにスコットの作家的姿勢は歴史にきちっとコミットしていないとの批判が出てくる根拠があるのだろう。ロマンス性が優勢となり、歴史の実相を照らし出すリアリティが不足すれば、歴史小説の存立は危うくなる。スコット自身の歴史と立ち向かう姿勢に、妥協的あいまいさがなかっただろうか。検証すべき課題である。

とはいえ、スコットは、最大の傑作とみなされる『ミドロジアンの心臓』で、1707年の合同以降のスコットランドとイングランドの歴史的事実を凝視し、歴史小説のひとつの極点を示した。この作品は、エディンバラ市のひとりの女性の「嬰児殺し」(とされた)事件から、キャロライン王妃の恣意的な王権の行使まで、物語規模が大きく奥行きも深い、冒険性に富んだ歴史小説である。実在したエディンバラ市警備隊長ポーティアスによる市民への射撃事件をはじめ、「ミドロジアンの心臓」(監獄)襲撃事件、市民による私刑の実行、長老派主義への批判、密輸の横行など、スコットランド史の暗部も盛り込まれている。小説の歴史的事実に目配りし、リアリティの度合いも高い。スコットの歴史小説は、現代からみての小説的難点をいくつかかかえているとしても、小説領域での新境地を切り開くダイナミックな力にあふれているといえる。

 

                                              (木村正俊